カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 何に気をつけるのか

    2017年12月3日
    イザヤ書13:1-13、マルコ13:14-27
    関 伸子 牧師

     アドヴェント、「キリストの到来」の時を迎えました。このアドヴェントから教会の新しい暦が始まります。今日はマルコによる福音書からのみ言葉に聞きます。
    「だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切のことを前もって言っておく」。マルコによる福音書第13章23節に、こういう言葉が記されています。「一切のことを前もって言っておく」。この文章は、英語の聖書の翻訳を見ると完了形で書かれていました。いっさいのことはもう話してしまった、と主イエスが言われたことになります。「気をつけていなさい」と言われます。この言葉は、もともと「見る」という言葉です。目を開いて見るべきものをじっと見る。14節に、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら」と、やはり「見る」という言葉が出てきます。「ユダヤにいる人は山に逃げなさい」と、地名がはっきり出て来ます。

     1987年に新共同訳聖書が二種類刊行されました。旧約聖書、新約聖書だけのものと、もうひとつは、それに「旧約聖書続編」というのが付いたのです。この続編の中にマカバイ記というのがあります。それを読むと、シリアの王でアンティオコス・エピファネスというのが出て来ます。もっと丁寧に言うと、アンティオコス・エピファネス4世。この王が、エルサレムに攻め込み、神の都を略奪し、その上に神殿に乗り込んで、その最も神聖な場所、祭壇にギリシアの神ゼウスの神像を置いて、拝むことを強要した。ユダヤの人びとの信仰にとって、重大な挑戦的な行為です。そこで、叛乱が起こった。その首謀者となったのはユダス・マカベウス、「マカバイと呼ばれるユダ」と、このマカバイ記では表記されています。このユダが登場してエルサレム解放に成功した。英雄が現れたのです。

     このマルコの言葉、それを読むと、まずユダヤ人は、この人のことを思い出したであろうと考えられるのです。「立ってはならない所に破壊者が立った」のです。しかも、これはダニエル書を読むと、ここに、「憎むべき破壊者」と訳されている言葉とおなじものが出てきます。ダニエル書は、既にアンティオコス・エピファネスのエルサレムに対する暴虐なふるまいを体験した後に書かれた預言書であって、また同じことが起こるに違いないと言ったのです。

     おそらく、この主の言葉を読んだ人たちが、更に思い起こしたに違いない事件がある。ローマ皇帝カリグラという人がいました。ローマ皇帝の中でも暴君のひとりですが、このカリグラ帝が、紀元40年にエルサレムの神殿に、ゼウスの神像どころではない、自分の姿を刻んだものを建てて、これを礼拝することを強要しました。
     そしてもうひとつ、もしマルコによる福音書が紀元70年よりも後に書かれていたとすれば、この紀元70年というのは、エルサレム神殿崩壊の年です。ローマの軍隊に包囲されてエルサレミの都が陥ち、女子も含めて餓死する者が多く、たいへん悲しい戦争の体験であって、こうしてエルサレムの神殿は滅びたのです。

     人が「立ってはならない所」に立つ。そこは神のみが本来立つべき所でしょう。それはエルサレムの神殿に限らない。どこであってでも、神が拝まれるべきところに神ならざる者が立つということ、これは恐ろしいことです。

     そしてそこで、主イエスはこう言われたのです。それに気がついた時にどうするのか。あの「マカバイと呼ばれたユダ」は、自分の小ささを顧みず、アンティオコス・エピファネスという偉大なる王に向かって反旗を翻した。しかし、主イエスは、「山に逃げなさい」と言われたのです。なぜかと言えば、そこで神が働かれるからです。そこで、人間が正義のために戦うのではないからです。

     いったいこれらの主イエスの勧告は私たちにとって何を意味するのでしょうか。27節には、「彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」と「選ばれた人たち」という言葉を三度もお語りになりました。ある注解者は何も説明を加えないで、「選ばれた者たち、すなわち教会」と書きました。

     この時、選ばれた者を呼び集めてくださるのは「人の子」と呼ばれる方です。「人の子」という名を記したひとりは、預言者ダニエルです。このダニエルもまた世の終わりの時、憎むべき荒廃をもたらす者が立つ時に、それに向かい合って断固たる神の勝利を告げる者として、この「人の子」について語った。しかしマルコによる福音書は、ここまでに既に三たび主イエスがご自分の十字架について、甦りについてお語りになったことを記録している。

     主イエスがこの第13章に記されているみ言葉を語られたのは、神殿を立ち去られた後のことでした。そこに見えてくる神の民の罪のゆえに、自分は今あそこで殺されると言われるのです。しかし、そこはまた主の甦りの光の輝く場所にもなった。エルサレムはまた、弟子たちが本当に逃げ出した記念の場所です。怖くなって逃げだしたところです。裏切りの逃亡をしたところです。そのことをも予見しながら、主イエスは、あなたがたは選ばれた者だと言われるのです。そしてわたしが人の子として来たとき、恐れを抱いて小さくなって物陰に隠れている者まで、天使が駆け巡って呼び出して来る。主のもとに集める。そのような幻を語られました。

     真実の信仰の目を持っている人間は、この主の約束を信じる。勝つのはこの主の恵み、勝つのはこの主を送ってくださった神の愛、勝利があるのは、立つべからざる者が立つ所に立って、それで人間の文化文明が作ると思い上がるところにではない。私たちの教会は小さなものですし、またこれからいくたび冬の時代を迎えるかわからないと私は思っています。しかし、その時に、この選ばれた者としての確信に生き続けることができれば、見るべきものを皆で祈りをひとつにして見続けることができれば、どんなにさいわいなことであり、また、神の喜ばれることであろうかと思います。お祈りをいたします。