カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神に栄光、地に平和

    2017年12月24日
    イザヤ書11:1-9、ルカ2:8-20
    関 伸子 牧師

    クリスマスは歌をうたう季節です。一年のうちで、最も教会が歌声で満ちる時です。町にもヘンデルの「メサイア」をはじめ、クリスマスにちなんだ音楽会が至るところで行われ、クリスマスの賛美歌が必ず聞こえてくるという季節になります。

     今朝、特に皆さんと一緒に心に留めたいと思っているのは、このルカによる福音書第2章の14節に語られている、「天の軍勢の歌」と言われているものです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。羊飼いが野宿をしていた。天使が現れて、キリストの誕生を告げた。その誕生を告げる言葉にすぐ続いて、「天の軍勢」、これも天使たちでしょう、その軍勢が現れて神を賛美した。

     歌と言っても、これはとても短いものです。ですから、後にクリスマス音楽を作った作曲家たちは、この天使の歌を、繰り返して歌わせています。天使たちが歌い、羊飼いがそれを心に留め、たちまちこの天の軍勢が姿を消した時、まるで何事もなかったかのような静寂が、ベツレヘムの郊外の野を支配し始めた。

     ただそこで知らされたのは、ひとりの赤ん坊が生まれたということです。この天使たちの歌は、この幼な子の誕生がどんなにすばらしい、驚くべきことであるかということを告げるのです。

     この幼な子が生まれているということは、どういうことを意味するのでしょうか。日本では、ヘンデルの「メサイア」に集中しますが、ドイツでは「メサイア」はあまり聞かれないということです。バッハの「クリスマス・オラトリオ」を至ところで歌う。この場面をバッハはどのように歌わせたでしょうか。「天使よ、喜びにあふれて歌うがよい。そして、私たちもそれに声を合わせよう」。そして今度は合唱が、ごく普通に歌う賛美歌を歌うのです。これは私たちの讃美歌54年版の101番、宗教改革者ルターが作った賛美歌です。そのメロディーに合わせて、「私たちも天の軍勢に合わせて歌を歌わん」と言うのです。「いずこの家にも めでたきおとずれ 伝えうるためとて 天よりくだりぬ」。

     この天使たちは、私たちの地上の悲しみにも、憂いにも関係のない、高い天国の世界の歌をうたっているのではなくて、私たちの地上の世界を訪問してくれたのです。まさに「いずこの家にも」この喜びを、という歌であったのです。

     すべてがわかるとはどういうことなのでしょうか。このここでお生まれになって、その誕生を天使たちによって歌われているイエスという方が、いったい、どのようなみわざをなさったか、ということをよく理解するということです。讃美歌54年版第二編の96番、「いま来たりませ、救いの主イェス」。これまで神を知ることがなかった者たちの救い主が今来られる。どうぞ来てください、と歌う。そして更に歌い進むと、こうなります。「この世に生まれ、陰府にもくだり、御父にいたる 道を拓く主。まぶねまばやく 照り輝きて、暗きこの世に 光あふれぬ」。

     クリスマスの歌を歌い始めると、主イエスのみあとを辿らずにはおれなくなってしまいます。そして、その主イエスのみ足のあとをずっと辿っていくと、そこで私たちが、どうしても言わずにおれなくなる言葉があります。あのヨハネの手紙一の第4章10節の言葉です。「ここに愛がある」。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」。

     「ここに愛がある」という愛そのものの歩みが、ここに始まる。それを見ているから、その神の愛を知っている人間が、主イエス・キリストを愛することを喜びとする道がそこに見え始めているから、天使たちが、このみわざをなさる神はすばらしい方、神に栄光があるようにと歌わずにおれなくなる。そして、この栄光ある神のみわざによって、地の上に平和が確立することを歌わずにおれなくなるのです。

     口語訳で、「みこころにかなう人々」と訳されている言葉、これは神のよき心、神の善意にかなう人びとと理解しているのでしょう。こちらがみこころにかなう資格があるかどうかという問題ではなくて、そんな資格を無視して神さまのほうで、私たちをみこころにかなう者としてくださるということなのです。

     ここで思い起こすのは、ローマの信徒への手紙第5章10節の、「敵であった時でさえ」と言う言葉です。まだ私たちが神の敵であった時、その時すでに、神はみ子を生まれさせ、また死なせて、私たちと神との間に和解の道を拓いてくださいました。クリスマスは、その神の善意の表れです。ベツレヘムの馬小屋の飼葉桶のなかに生まれたみ子イエスは、その飼葉桶の貧しさを、十字架の苦しみに至るまで担い続けてくださったのです。キリストが生まれてくださったということは、キリストご自身がまず、私たちの罪の根を押さえつけてしまうために、私たちの罪の上にのしかかってくださり、私たちの熱病のごとき罪を打ち払って、地には平和、人びとには善き心をと歌うことのできる世界を作ってくださったのです。

     最初に言いましたように、この歌はクリスマスの時だけのものではありません。「いと高きところには栄光、神にあれ」。神を神とするということを、きちんとわきまえるということです。朝、起きた時に、神の栄光をほめたたえることから一日の生活を始める。その時に、この日一日もまた、地に平和を願い、自らも神の善意にあわせた善意に生きることを願う日となりますように、と歌わずにおれなくなる。そういう人間が、ひとりでも増えてくるところに、そういう世界が少しでも広がってくるところに、私たちの望みもまた、確かになってくるのではないでしょうか。今このクリスマスの機会に、天使が歌う歌を、私たちも改めて何度も口にし、習い覚えて、これを一年中忘れないで歌い続ける者になりたいと願います。