カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 聖霊の宿るところ

    2018年5月27日
    エゼキエル37:1~10、ローマ8:1~17
    関 伸子牧師

     今朝私たちに与えられたみ言葉として読みましたローマの信徒への手紙の第8章の9節にこう記されています。「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます」。原文のギリシア語は、「あなたがたは、しかし、肉の中にではなく、霊の中にいる」、と訳してよい言葉です。

     パウロは、ローマの教会の人たちにまだ会っていませんが、ローマの教会の人びとが霊の中にいることを分かるのです。

     さらに「霊の中にある」ということはどういうことかと問えば、「神を喜ばす人」となったということです。悔い改めて、信仰を言い表す者がひとりでもあれば、天にまことの大きな喜びがあると、主イエスがおっしゃいました。
     「あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます」というのは、そういう意味では、あなたがたはもはや、自分を喜ばせるためだけに生きるのではなく、神を喜ばせることをもって第一とする生き方に入った、ということでもあります。

     この「宿る」の〈宿〉は、宿屋の〈宿〉です。毎日自分の家にいると忙しくてしょうがない。少しくつろごうと言って、ようやく旅に出て宿でくつろいでも、一か月居続けるわけではありません。しばらくしたらすぐ帰りたくなります。住むところでなければ、真実にそこに生きることはできないのです。

     そしてここで、「宿る」と訳されている言葉は、むしろその場合の〈住む〉という意味で理解されるべきものです。神の霊が私たちを仮の宿とするのではなくて、わが家としてくださるということです。

    そして、「あなたがたの内に宿っているその霊」、という言葉を読む時に、ほとんどの注解者が引用するのは、コリントの信徒への手紙一第6章の19節の言葉です。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。

     ここに用いられている言葉は、先ほどのローマの信徒への手紙とは用いている言葉は違うのですけれども、言っていることは同じです。「からだ」と書いてあります。私たちの肉体を含めた全存在と言ってもよいと思います。それが、神さまの住む宮となってしまった。パウロがなぜこんなことを持ち出しているかというと、18節に「みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」と言っているのを受けたのです。私たちもうっかりすると、そういう考え方をしますが、この時、パウロが手紙を書いたコリントの教会の人びとも、特にギリシア哲学の、そうした〈霊〉と〈からだ〉というふたつのものを分ける考え方に影響されていました。

     コリントの教会の人の話を聞くと、私たちはそんな馬鹿なことを、と思います。私たちは日曜日の朝になると、世俗の生活を出て、思いが聖められて、からだも少し聖められた思いになって、着るものも改めて、ここに集まります。そしてここでは聖なる礼拝をする。しかし、家に帰るとまた俗人に戻る。そのように生活を使い分けてしまっているかもしれません。パウロはしかしそうではなくて、会社に行っているあなた、学校で勉強しているあなた、家庭で夫婦の生活を作り、子どもたちと生活をしているあなたの中に神さまがおられる、神の霊が住む、だから、そこで、それにふさわしい生き方を作るのだと、コリントの教会の人びとに教えたのです。肉体を持った人間として、すこやかな歩みを造ることができるようになるのです。

     ローマの信徒のへの手紙の中で、ローマの教会に対して行っていることも同じことです。あなたがたは霊の中にいる。
     私たちの礼拝では、「日毎の糧」という主日聖書日課の暦にしたがい、毎主日、この日にはどの聖書の言葉を読み、説教すると、決めています。聖霊降臨の時によく読まれる聖書の言葉のひとつが、このローマの信徒への手紙第8章です。

     パウロは、今日のローマの信徒への手紙の中で、キリストの霊の内在ということを語った後で、先ほど読んだところですけれども、11節でこう言ったのです。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」。「イエスを死者の中から復活させた方の霊が」、「キリストを死者の中から復活させた方は」、同じことを二度言っているのです。何を繰り返したかったかというと、イエスを死人の中からよみがえらせた方が、私たち、あなたがたの中に住んでいるということです。私たちの死ぬべきからだをも生かすということです。

     ある有名な神学者が、このところについて語った言葉は、「わたしたちの墓の上にこの言葉は書き記される」と言ったのです。あのイエスを死人の中からよみがえらせたかたの霊が、今ここに眠る者の肉体にも宿る、この死ぬべきからだを生かしてくださる、そういう言葉なのだというのです。そうでなければ、私たちが教会堂で葬儀をし、埋葬する意味もないかもしれません。病んで衰えて死ぬ時には、実際に、人に見せたくないみじめな姿にまでなるかもしれません。しかしそういう人のからだをも、ある牧師は、白い柩の中に納めた。キリストの中にあるものとして重んじ、これを尊んだ。だからその牧師が作る葬列の先頭には、ブラスバンドが歩いたと書いてあります。ラッパが鳴ったと言っています。いのちを歌ったと書いています。

     そして言うまでもないことですが、教会は、この霊にあずかる者たちの集団です。霊に自分の中に住んでいただく者たちの集まりです。主がここに共にいてくださることを、信じたいと思います。お祈りをいたします。