カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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    2018年12月23日
    詩編89:20~30、ルカによる福音書2:8~20
    関 伸子牧師 

     ルカによる福音書第2章のみ言葉から読み取っていくみ言葉は、羊飼いに与えられた天使の言葉で言えば、「大きな喜びの言葉」です。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」。この「告げる」と訳されている言葉は、実は、これ自体が「喜びを知らせる」という言葉です。ギリシア語で読んでいると、少しおかしな気がするくらいに、「大きな喜びとして伝える」、と二重の表現するのです。

     この福音書を書いたルカは何の前触れもなしに羊飼いたちを登場させます。羊飼いが現れるのはここだけであり、これ以降は出てきません。羊飼いの仕事は、羊を牧草地や湧き水の出る場所に放して栄養と水分を与え、盗人や野獣などから羊を守ることにあります。また、羊は従順である一方、迷いやすく、羊飼いに導かれなければならない動物であったため、羊飼いと羊は神とその民との関係を象徴していると言われています。
     天使は羊飼いに「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。と言いました。いと高き所とは、神の住む高い天のことであり、そこには神がいるだけでなく、無数の天使たちが神に仕えているため栄光に満ちているのです。しかし、今や神の子イエスがこの世に生まれて来たため、地でも神の栄光が輝き始めました。

     羊飼いたちのとった態度は、マリアの態度に等しかったと言ってよいのです。彼らは、天使によって知らされた、「主が知らせてくださった出来事を見ようとして、マリアと同じように「急いで」(1:39)出かけたのです。

     聖なる家族を探し当てた羊飼いたちが、人々に知らせたことは2つでした。ひとつは一人の生まれたばかりの幼子が布にくるまって飼い葉桶の中に寝ていたということ、もうひとつは天使が現れてこの幼子について語ったことです。

     とても不思議なことがここに起こったのです。マタイによる福音書第2章によれば、救い主の誕生を最初に耳にした人びとの中には、時の権力者「ヘロデ王」や彼を王としていただく「エルサレムの人々」、さらに彼に調査の依頼を受けた「民の祭司長たちや律法学者たち」もいました。しかし、天からの啓示によって救い主の誕生を知らされたのは、マリアとヨセフのほかに、異境の地・東方の占星術の学者たちと、ユダヤの荒野で野宿しながら群れの番をしていた羊飼いたちだけでした。この人たちに共通するのは、彼らが局外者、アウトサイダーであったことでした。

     ところで、マリアが「心に納めて、思い巡らす」ことにしたのは、羊飼いの話のどの部分なのでしょうか。雨宮慧神父が『主日の福音』のルカよる福音書の注解書に記されていることを読んで、なるほどと思いました。17節から19節に、「この幼子について天使が話してくれたこと…。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが…」と、ギリシア語で「レーマ」という言葉を、3回、天使が話してくれたこと、出来事、見聞きしたこと、という風に「こと」と「出来事」に訳し分けています。羊飼いたちは、言葉が「出来事となっている」ことを既に信じているのです。ちなみに「我々は行こう」と直訳したディエルコマイは、伝道活動のために「ある場所に向かう」という意味でも使われる言葉だということです。《ベツレヘムに行こう!》《あの幼子のところへ行こう!》、ここに、彼らの信仰があり、私たちも大いに励まされるのです。

     ドイツの牧師・神学者であるマルティン・ニーメラーは『光の降誕祭』という20世紀のクリスマス名説教集の中でこの箇所について次のように語ります。「このように、布にくるまれておられたということは、やがて、この方について、このように語られるにいたる方のご生涯がどのようなものであるかを示す、独特のしるし、その予兆であります。『他人は救ったのに、自分は救えないではないか』(マタイ27:42)。そして第2に、飼い葉桶、……これもやはり、しるしです。つまり、この子どもが故郷を失っているということのしるしです。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである』(ルカ2:7)– そして、これもまた将来の予兆であります。なぜならば、この幼子は、やがておとなになられますが、その方は、ご自分のことを、このように語らなければならないのです。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子は枕するところもない!』(マタイ8:20)。これが、羊飼いと私たちに与えられたふたつのしるしであります」。

     布と飼い葉桶の2つのしるしが排斥、貧困、困窮といったことを示すことは間違いありません。そこに幼子が救い主であることの神の啓示があるのです。

     20節の言葉は私たちを慰める力となります。「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」。

     今日、あなたにも主の栄光が照らして、「恐れるな」と力強く語りかけるのです。それは、あなたが神の言葉を聞いた、今日です。あなたの苦しみの中、悩みの中で。救い主があなたのために生まれたのです。恐れてはなりません。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)。神は、他ならぬあなたを愛されたのです。神は、その独り子をお与えになるほど、あなたを愛されたのです。ベツレヘムの馬小屋は、そのことを示しているのだと思います。聖書の示す神は、悲しみの神ではありません。怒りの神ではありません。神は喜ぶ。神ご自身が、喜びたいためにクリスマスを私たちに与えてくださったのです。マリアと同じように、羊飼いと同じように、私たちも心のなかでイエスの言葉を黙想しながら、私たちは喜びを見る世界を知るのです。お祈りをいたします。