カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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    2019年1月13日
    詩編101:1~8、使徒言行録16:11~15
    関 伸子牧師 

     今日、私たちが読んでいる使徒言行録の第16章には、使徒パウロの第2回伝道旅行におけることが記されています。この旅行の出発に際してパウロは、同僚であったバルナ場との対立による別れという悲しみを体験しました。しかし、この度の途上で、テモテという青年との出会いが与えて彼らが先ず行ったのは、「マケドニア州第1区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピ」でした。「ローマの植民都市」というのは、ローマ帝国の退役軍人たちが住み着いて造った町ということです。彼らはそこで2人の女性に出会います。

     一人はティアティラ市の紫布の商人で、神を敬うリディアという人で、もう一人は占いの霊につかれていた若い女奴隷です。リティアは主に心が開かれてパウロが語ることに心を留めるようになり、主を信じて洗礼を受けました。そして、その喜びのゆえに彼らを自宅に招き、心からのもてなしをしました。一方の占いの霊につかれた女奴隷は、確かに福音を宣べ伝えていたパウロの伝道の働きを認めていたかのようでしたが、実際にはそうではありませんでした。その違いは、主が心を開かれたかどうかということでした。主が心を開かれたことを知ったリディアは自由に主を信じて従う道を選び取ったのです。

     安息日に祈りの場所に集まったユダヤ人は全員女性でした。ユダヤ人の男性は来なかったのです。どうしてかは分かりませんが、男性はあまり好まない傾向の流派が伝道したのかもしれません。ここでパウロが説教を始めました。

     教会の柱となったリディアはフィリピ人ではなく、アジアから来たティアティラの人でした。「紫布」とは紫に染めた高価な布で、その染料は地中海に棲むある貝から取るのです。アジア地方で紫布が生産され、リディアはその販売のためにフィリピに移った裕福な女性実業家であり、神をあがめていました。紫布は上流階級の間でよく売れたようです。リディアはそういう階層の人たちと関係があったのでしょう。そして富裕な階級のユダヤ人の顧客がいた。その富裕なユダヤ人女性が異邦人のリディアに聖書の信仰を伝えたと考えられます。

     その日、安息日の集会に男性の信者が一人もいなかったようですけれども、集まっていたユダヤ人女性の間に、異邦人伝道の先駆けとも言うべき人たちがいたに違いありません。しかし、マケドニアで福音を熱心に聞いて信じた最初の人は、ティアティラから移ってきた異邦人であるリディアとその家族なのです。

     それはリディアが特に進んだ女性だったということなのでしょうか。聖書は、「主が彼女の心を開かれたので」と言います。神は福音に対してリディアの心を開かせます。それがなければ何も起こりませんでした。リディアは家族と共に洗礼を受け、その人たちと祝福を共有した。すぐに自分の家を解放して、もてなしをします。

     女性についての教会の考え方を、伝統的なユダヤ教やギリシア・ローマ世界のそれと比較すると、教会は女性を喜んで受け入れ、指導者や預言者としての女性を特質している点で、革新的であると思われたに違いありません。女性たちは積極的に、宣教を担っていたのです。
    もう一つ見ておきたいことがあります。15節、リディアは「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」と言ってパウロたちを招待し、無理に承知させたと記しています。「神の事柄は目立たない形で、心の中に沁みとおる」とある人が言いました。リディアは心に確信がありました。リディアは喜んでパウロの語る福音に耳を傾け、それだけではなく、自分も、その家族も、すなわち、子ども、親戚、奴隷にいたるまで洗礼を受け、パウロたちに喜んで自分の家に泊め、その家庭を解放し、そこをフィリピ伝道の拠点にしようとしたのです。

     さて、少し振り返ると、ここに来る前、パウロたちは、アジア州で伝道しようと思ったら聖霊によって止められ、ビティニア州に入ろうとしたらやはり聖霊によってそちらではないと阻止されました。そして、パウロが主の幻を見せられました。それはマケドニア人の幻手、一人のマケドニア人が立って「マケドニア州に渡ってきて、わたしたちを助けてください」という幻でした。それでそれを主の導きだと確信し、船でこのヨーロッパへ渡り、マケドニア州の町フィリピに来たわけです。そして、リディアが主イエスを信じる。

     これは驚くべきことです。海の向こうの、一人の女性の回心のために、主は、パウロたち伝道者一行を向かわせたのです。それは、ちょうどこの時でなくてはならなかったからです。今までも主がずっとリディアを導いてこられた。イエス・キリストを信じるようになるために、準備をし、ご計画を定め、導いてこられたのです。

     この安息日の朝、町の外の川岸で、パウロたちはたまたまそこに祈りに来ていた女性たちにイエスさまのことを語った。しかしそれは偶然ではなく、まさにそれこそが主のご計画だったのです。主イエスは言われました。「言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」(ルカ15:10)。そこで言われているのは、「一人」です。一人ひとりが主の愛の対象です。

     振り返ってみて、あの日あの時、あの人と出会っていなければキリストを信じるようになっていたかどうか分からない。そう考えると、主は、いろいろな人を通して私たちを信仰へと導かれた。その主の愛に感謝します。私たちも他の人の救いのために、主に用いられる者でありたいと思います。お祈りをいたします。