カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • キリストの交わりに招かれる

    2019年1月20日
    イザヤ49:1~6、コリント一1:1~9
    関 伸子牧師 

     今日、ご一緒に読むコリントの信徒への手紙は、その題からもわかるように手紙です。しかし、普通の手紙ではありません。そこに私たちの救い主イエス・キリストのことが書かれているからです。

     コリント教会は、パウロが第2回伝道旅行の際に建てた教会ですけれども、パウロが立ち去った後、教会にはさまざまな問題が噴出しました。分派争いが起こり、自分たちを「知恵ある者」と誇る者が教会内に現れました。混乱するコリント教会から教会生活に起こった問題についての質問状がパウロに送られており、彼はこの手紙でそれらに答えています。

     さて、手紙には発信人があります。ここでは「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ」とあります。使徒として召されたパウロ。この言葉にパウロとパウロの信仰のすべてが表現されていると思います。

     また手紙には受取人もいます。「コリントにある神の教会へ」。興味深いことに両方とも「神の」という言葉がついています。この発信人と受取人とを結ぶものは、「神」以外の何者でもありません。コリントの教会が、「神の教会」と呼ばれている。それには少し説明が必要です。コリントの教会はあまり立派な教会とは言えませんでした。退廃したコリント市内にあって、道徳的腐敗と内部紛争で混乱の極みにあった教会でした。それでも、「神の教会」とパウロは言うのです。そのことを解く鍵は、次の言葉にあります。

     「キリストによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」。パウロはまずコリント教会を神の教会、聖なる者とされた人々、と呼びます。「教会」という言葉は原語では「呼び出す」の派生語です。「聖なる者」という概念も、もっぱら神の目的のために仕えるようにと呼び出された人を表します。ですから、パウロのコリント教会への呼びかけには、「神に仕えるために呼び出され、神のものとされた人々」という意味が強く響いています。さらに、彼はすべてのキリスト者に向けて「わたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めている人」と呼び掛けています。「主イエスの名を呼び求める人」とは、イエスとのかかわりに生きる者のことです。すべてのキリスト者は、神と主イエスから呼ばれた者なのです。

     今日コリントの信徒への手紙と合わせてお読みしたのはイザヤ書第49章からのみ言葉です。ここに登場する僕にとって、口が最も重要な器官であり、彼は言葉を通してその使命を遂行する人物だと思われます(2節)。しかも、4節には神の言葉を語っても聞かれることのなかった徒労感が述べられています。ペルシャの王キュロスが遣わされたのは、捕囚民をバビロンから解放し、エルサレムへと帰還させるためですけれども、帰還と同時に彼らの心も「御もとに立ち返る」ことが必要です。そこで、49章以降、キュロスに代わって第2イザヤが僕として登場し、「僕イスラエルを真の僕に戻すための僕」として働くことになります。

     パウロはイザヤが僕イスラエルを真の僕に戻すことを決意したように、神に召されたものとして語り続けます。「わたしはあなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています」(4節)。

     みなさんもご存知のように、「キリスト」という名称はヘブライ語の「メシア」に相当し、「油注がれた者」という意味です。「イエス」という名はへブライ語の「ヨシュア」に相当し、「主は救い」という意味であり、イスラエルの民の間では一般的な名前でした。つまり、イエスが「油注がれた者」であるということは、イエスが王として全世界を統治し、祭司として神と人との間を調停し、預言者として神の言葉を人々に告知する救い主であることを示しています。弟子たちが豊かにされたことは、他の人々にイエスをキリストであると聖書に基づいて証しするということです。興味あることに、言語のギリシア語で、「確かにする(ベバイオオー)」という表現は、日々「歩む(ベバイオス)」と語源が同じなのです。そうすると、イエスの弟子たちは神の教会の中だけではなくて、日々の歩みの中で聖書に基づいてイエスがキリストであることを堅実に証ししていたのです。

     8節の言葉は私たちに希望の約束として与えられています。「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます」。このような神の働きの中で、キリスト者の真実の交わりが成立します。交わりの基礎は、聖霊によってキリストが私たちのうちに(キリストにあってというのと同じ)住んでくださることにあります。キリストのうちにあってということこそ、パウロとコリントの人々をつなぐものであり、また教会を教会とするものに他ならなりません。

     教会とは、神様に召され、主イエス・キリストとの交わりに入れられた者たちの、つまりキリスト・イエスの中にある者、キリスト・イエスと結ばれた者の群れです。神が、恵みによって私たちを教会に集めてくださいました。そして真実な方である神は、私たちを最後までしっかりと支えて、終わりの日の審きにおいても、非のうちどころのない者として救いにあずからせてくださるのです。

     コリント教会の人々にしても、私たちにしても、問題と罪に満ちた弱い者です。しかしそのような私たちを神さまは召し集め、主イエス・キリストの十字架による罪の赦しにあずからせ、キリストとの交わりへと招き入れ、終わりの日の救いにあずからせてくださいます。キリスト者はみんな召された者、つまり神に呼ばれた者です。そのことを心に刻んでおきたいと思います。お祈りをいたします。