カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • 神の国は来ている

    2019年3月17日
    創世記6:11~22、ルカ11:14~28
    関 伸子牧師 

     弟子たちに祈りを教えた後、主イエスは目が見えず口の利けない人から悪霊を追い出してくださり、不自由から解放してくださった。19節には、こう記されています。「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」。この主イエスの言葉から察すると、こういう、悪霊を追い出すという仕事をしていたのは、主イエスだけではなかった。当時の人びとは、今から考えると、科学的な知識が不足しているから、迷信のとりこになっていたと言われるような病は、悪霊のしわざという考えのとりこになってしまった。

     群衆の中にいたファリサイ派の人たちは、イエスが悪霊を追い出したのは悪霊の頭ベルゼブルによってである、と主張しました。すなわちイエスに対する評価が群衆の間に分かれて、ある者はイエスを目の前にして、神から出た救い主だと言い、他の者はベルゼブルから出た悪霊の子であると主張した。しかも後者の意見は、宗教上の支配階級であるファリサイ派の人々の間から出たのであって、彼らがイエスを憎む心は、イエスが憐れみからくる癒しを弱くされている者の上に現わす毎に、一層強く燃えて行ったのです。主イエスの敵対者たちが群衆の中に紛れ込んでイエスの言動を見張っていた状況を想像することができます。

     主イエスは次のように反論なさる。大前提として「サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立っていくだろうか」。小前提として「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」。結論「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。

     ルカは国の分裂が家の滅亡をもたらすと一足飛びに結論する。また、ユダヤ人の中にも悪霊を追い出す能力をもつ者があった。もしもイエスがベルゼブルによって悪霊を追い出すというなら、あなたたちの子が悪霊を追い出すのもまたベルゼブルによるという事になるではないか。それではあなたたちは承知しない。あなたたちの仲間が、あなたたちのイエスについて言うところを否定するであろう。

     そこで、イエスが悪霊を追い出したのは、ベルゼブルに酔ったのではなく神の指によったのであること、すなわちサタンの霊によったのではなく神の霊によったのであることが、論理上、明白になります。マタイ福音書は、ルカが「神の指」と言っているところを、「神の霊」と言っている。もしその事が信じられるなら、神の国はすでに私たちに到来したことが知られるはずです。なぜなら現に目が見えず口が利けない悪霊でさえ、イエスによって追い出されたのですから。

     神の指とは聖霊のことです。聖霊によって自分の自我が追い出された人のみ、悪霊を追い出すことができます。

     主イエスはご自分が「神の指」で悪霊を追い出しているのであれば、と同じ表現を使っている。この「神の指」という語によってイエスの奇跡とエジプト脱出の奇跡が結び合わされ、神の救いの業の連続性が示されています。しかしながらファラオは「神の指」の業であることを認めようとせず、ついには葦の海で滅びてしまう。

     イエスが神の霊をもって世に来られるまでは、サタンの権力から人を完全に救い出す者はなかった。サタンはそれほどに強力に人をとらえて自分の支配の下に置いていたのです。イエスが目が見えず、口が利けない者から悪霊を追い出されたのは、人を罪と死の束縛から解放されたことの象徴です。

     雨宮慧神父は『なぜ聖書は奇跡物語を語るのか』という著作の中で、主イエスが悪魔の頭ベルゼブルによって悪魔を追い出しているというこの罵倒についてこのように記しています。「敵対者には悪魔のわざと見えたことも、イエス自身にとっては神の国がすでに到来したことのしるしなのです。悪魔追放という人目を集めるわざもそれ自体としては多様に理解を得るものです。……それが聖書的な意味での奇跡となるには、それを神の救いのわざと受け取る特別な目が必要なのです」。私たちは神の救いのわざを受け取るための目を持っているでしょうか。

     主イエスは、26節の終わりのところでは、「そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」と言っておられます。これは確かに、一度、主イエス・キリストの力によって、自分をきれいに掃除していただいたのに、その後、甚だ無責任な生活をしたお陰で、事をもっと悪くしてしまう、そういう人のことを、主イエスが、はっきり指摘しておられると読むことができると思います。

     悪霊が再び私たちに巣をつくらないためには、私たちは祈りによって常に神の霊を私たちの中に宿していたい。私たちが、神の子キリストによって解き放たれ、すべての悪霊の力から解放されると、からっぽのままではありません。主イエスは、そこに神の言葉を繰り返し語りかけてくださいます。神の言葉を満たしてくださいます。神の言葉をもって、私たちの魂の生活、肉体の生活を整えてくださいます。そのためにも、私たちは目を覚ましているのです。ただ、キリストの恵みの中に立って、自分の心の小さなひとつのひだすらも、悪霊には渡さない、というそれだけの思いを保ち続けることでしかありません。自分自身に、既に生き始めているみ言葉の働きを信頼し、見守り、そこに生き続けることしかできないのです。お祈りをいたします。