カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 甦りの主にお会いして

    2019年4月21日
    イザヤ書60:17~22、ヨハネ20:1~18
    関 伸子牧師 

     主イエスの十字架の死の3日後、週の初めの日の朝早く、主イエスの墓に行って、墓石が取りのけられているのを見た女性たちの中に、マグダラのマリアがいました。 マリアは墓が空っぽであることを知って大急ぎで走って帰って、ペトロともう一人の弟子を訪ねて、そのことを告げた。弟子たちふたりも、マリアの話を聞くや否や、ほとんど本能的に走り出した。

     ペトロと、もうひとりの弟子が墓の中に入ったときに、亜麻布がきちんと丸めておいてあった。それは何を意味したか。ここにおられた主イエスが誰かに奪われたのではない。ご自分で自分を包んでいた布をほどいて、そこに丸めておいて出て行かれたということです。主イエスは、ここから解放された。死の力を打ち砕かれた。その事実を「見て、信じた」のです。甦りは、そのような意味において、死の闇の力がもはや私たちを捕らえるのではなく、それを突き抜けるいのちの光が輝いたことを意味する。少なくとも、ここでこの二人の弟子は、その光の痕跡を見たのです。

     しかし、マグダラのマリアだけは思いきれなかったのでしょう。墓の外に立って泣いていました。このマリアは、主イエスに7つの悪霊を追い出してもらったと言われている女性です。身体的にたいへん重い病気であっただけでなく、おそらく精神的にも最悪の状態であったのを、主イエスに癒していただいた。その主イエスが十字架で死んでしまわれては、マリアは落胆するほかありませんでした。

     マリアが泣きながら、墓の中を見ると、白い衣を着た2人の天使がいて、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と尋ねました。天使の存在は、墓が空であることが神の引き起こした出来事であることを暗示していますが、マリアはそれが天使だとも気づきませんでした。相変わらず、誰かが主イエスのご遺体を盗んだと思い込んでいるマリアは、途方に暮れて、「わたしの主が取り去れました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と言いました。

     こう言いながら、マリアが後ろを振り向くと、そこに主イエスが立っておられるのが見えたのです。しかし、マリアには、それが主イエスだとは分かりません。そこで、主イエスはマリアに、「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」と、お尋ねになりました。主イエスは、《あなたは、わたしが死んだままだと思って泣いているのか。あなたは、死んで遺体となったわたしを探しているが、わたしは復活して生きている。死んだ者を探さないで、生きているわたしを探しなさい》と言っておられるのです。

     それでも主イエスに気が付かないマリアに対して、主イエスは、今度は「マリア」と呼びかけました。主イエスの呼びかけに答えて、マリアは振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ(先生)」と答えました。マリアは主イエスから、かけがえのない一人の人格として、愛と赦しのうちに呼びかけられてはじめて、復活された主イエスに気がつきました。主イエスは、「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。」とおっしゃいました主イエスの〈聖さ〉がここに現れてきています。死を打ち砕いたのは神ご自身である。人間の歴史の中に、こんなにはっきり神の光が輝いたことはないのです。

     そこで、主イエスはマリアに言いました。「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と」。今までは、主イエスの父であり、主イエスの神であった方が、今では、「あなたがたの父」、「あなたがたの神」となったと言っておられるのです。

     この主イエスのご命令どおり、マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げました。マリアがこのような信仰告白をすることができたのは、マリア自身が復活の主に出会って、使徒悲嘆と罪と絶望が支配しているような世界にも、実は主イエスに現わされた神の愛と永遠の命が溢れていることを知ったからです。

     私たちの教会は、自分勝手な願いを持っている者が集まって、その願いが満たされることだけを喜ぶ場所ではない。死に向かいつつ、そこで自分が望む最善の慰めを得たかった。その自分勝手な願いが打ち砕かれると共に、しかし、それにもまさって、遥かにすばらしい神の栄光の光の中に立たされる。それが教会における体験です。

     「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず / 月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり / あなたの神があなたの輝きとなられる」。 イザヤ書第60章が書き記したこの預言が、私たちの生きているこの場所において成就しています。このイザヤ書の預言の言葉を、私たちの言葉として、いつも喜んで聞くことができるようにされています。甦りの主イエスが、私たちに会ってくださるからです。

     マグダラのマリアが「マリア」と主イエスから呼ばれたように、私たちも今、一人ひとり、各人の固有名で主イエスから呼びかけられています。この招きに応えて、《主イエスこそ私の主、救い主です。主イエスは生きておられます》と告白するなら、復活の主イエスの命の喜びの中に息づいて、《主よ、感謝します》と祈っている自分に気づかされるのです。この教会において、既に神の子とされている祝福の事実を信じて、平和に生き、恵みのわざに生きることができますように、祝福を祈ります。お祈りをいたします。