カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • イエスに仕えた女性たち

    2019年8月4日
    詩編97:7~12、ルカによる福音書8:1~3
    関 伸子牧師

     今日私たちに与えられているルカによる福音書第8章1節から3節は、短い箇所ですけれども、非常に興味深いところです。主イエスの宣教に同行した女性たちに言及している部分は、福音書の中ではここだけです。他の箇所では明らかになっていない主イエスの宣教の働きの全貌が、ここに現れていると言ってよいと思います。それは同時に、著者であるルカの教会の働きの全貌を示すものであったでしょう。そして、私たちの教会の全貌をも示すのです。

     主イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅をつづけられた。それは、第4章16節以下の記事が語るナザレでの宣教と同じように「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる」ことであり、そのことが「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣告することである。そこで、病の癒しの業がなされ、また悪霊の支配からの解放の業もなされたことでしょう。それは単なる癒しの業ではなく、現に神のご支配がここに来ていることを示す徴である。

     この主イエスの宣教の働きに、12人が同行していたと語られる。ここで、弟子と言わずに、12人と記されている。第6章12節以下に、主イエスが12人を選ばれたという記事があります。第22章30節以下では、この12人がイスラエルの12部族を治めることになると主イエスが語っておられる。その12人が、主イエスの宣教に同行していたのです。今日の箇所の2節と3節において、そのような主イエスの宣教のわざを支えて、女性たちが奉仕をしていたことが明らかにされます。主イエスによって救われた多くの女性たちが、イエスと12弟子の一行に同伴して、自分たちの財産をもって彼らに奉仕した。その中で特に名を挙げられている者は、マグダラのマリアとヘロデの家令クザの妻ヨハナとスザンナという女の3人である。

     マグダラというのは、ティベリアの北約5キロ、ゲネサレト平原の南端に位置したと言われる。このマリアはその町の出身で、そのためにマグダラのマリアと呼ばれていた。このマリアはイエスによって7つの悪霊を追い出された女であった。多くの悪霊を追い出していただいただけにマリアはイエスを愛する思いも深くあった。

     ヘロデの家令グザの妻ヨハナというのは、ここと、復活の場面だけに出てくる女性である。この人の夫クザは領主ヘロデの宮殿に仕えていた人であった。ヘロデは洗礼者ヨハネをも、また主イエスをも快く思っていなかった人である。その人に仕えたクザは、自分の妻が主イエスに従うようになったと聞いてどのように思っただろうか。バプテスマのヨハネの首斬り、主イエスに対しても敵であったヘロデ王の側近にまでイエスの救いが及んでいたことは、注目に値する。

     スザンナという女性については、その身分など何も知られていませんけれども、著者のルカが関係していた教会の中ではよく知られていた人であったのだろう。

     この人たちが毎日やっていることは同じことです。食事の世話をする。衣服について心をくばる。主イエスや弟子たちも、自分の食べる物、着る物について、どんなに煩わしい思いをしなければならなかったか。しかし、そこで、その煩わしさを全部身に引き受けようとした女性たちが、いつもその傍らにあったのです。この同じことをこの婦人たちがしてくれなかったならば、これまでに書かれていた、主イエスの伝道のみわざ、そこで語られた言葉が、支えられなかったのです。

     マグダラのマリアや他の女性たちの存在が際立つのは、復活の場面においてである。男性の弟子たちがみな主イエスを見捨てて逃げ去ってしまい、誰も十字架のそばにいなかった時に、女性たちは遠くからではあるが、ゴルゴダで起こったすべての出来事をじっと見ていた。そして復活の日に、主イエスの体に香油を塗るために墓を訪れ、主の復活の最初の証人となったのである。主イエスが、この伝道をしていたとき、傍らに12弟子がいた。これは男です。しかしルカは、この12人の男たちが、最後までイエスと共にあったとは書くことができなかった。第23章の49節に至ると、ルカはこう書きました。「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」。次に第24章の10節に、更にこう書きました。「この女性たちというのは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」。イエスの十字架の死を遠くから見ていた人たちがいる。けれども、この十字架の死に先立ち、すでにペトロを代表とした男の弟子たちは、イエスを捨てていた。イエスが、甦られた時に、その復活を真っ先に知ったのは墓を訪ねた女性たちでした。

     ある牧師がこのところを準備している時に読んだ本の紹介をしていました。こう記しています。神のことについて語るためには、知るよりも愛さなければならない。人は愛によってのみ真理に入る。イエス・キリストやパウロは、愛の秩序を持っていた。彼らは、熱を与えようとはしたが、教えようとはしなかった。これは、フランスのキリスト者思想家パスカルの言葉です。イエスという方は熱を与えられた。ただ知識を与えたのではない。熱を与えられた。そして、その愛の熱にうたれて、自らもまた、主イエスを愛する時に、主イエスをよく理解した。愛をもって主イエスの後を追い続ける。そして、そこでその町や村を愛し抜いている主イエスの熱い思いを分かち合った。それを担った。そして神の国を生きた。ここに教会があります。どのような会堂に住み、どのような会堂を与えられようと、このことを失った時に、すべてのことは無意味になると思います。お祈りをいたします。