カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • あなたがたを高めるために

    2019年9月15日
    詩編113:1~9、コリント二11:7~11
    関 伸子牧師

     パウロはこのコリントの信徒への第二の手紙を書かかなければいけない背景となっている偽教師たちの正体を、10章から12章において暴いていています。11章に入り、パウロは熱情を持ち、彼らの欺きについて告発していきます。

     「それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか」(7節)が書き出しの言葉です。そのようにしたことには、もちろん理由がありました。それは福音を無報酬で、つまり、値なしに与えるため、ということです。

     これは、驚くべきことではないでしょうか。「無報酬で」とは、「贈り物」としてという意味ですから、パウロが自分自身を「低くして」神の福音を説いたということは、貧しい暮らしをしながら、という意味であり、そのことによってパウロは罪を犯したのではないのです。パウロは、天幕造りを職業として伝道を続けていましたが、それは諸教会に金銭的な負担をかけないためでもあり、神から恵みとして無償で受けた福音を同様にして恵みとして伝えるためでした。こうして、パウロは天幕などを造りつつ、神の家である教会を建て上げつつあったのです。

     なぜ、自分を低くするかといえば、それは福音を伝えるためだからです。福音を宣べ伝える秘訣は神に語っていただくのです。したがって、福音を語る時にしなければならないことは、福音だけが生きるようにすることです。私たちの努力は、そのように福音を活かすには、どうしたらいいか、ということです。その努力を合わせると、自分を低くする、ということになるのではないかと思います。そして、その結果が、相手を高くしたのではないでしょうか。

     パウロは、コリントにいた時に貧乏をしても、コリントの教会の人びとの世話にはならなかった、と言っています。自分の生活は、「自分の手で稼いでいます」(コリント一4:12)と彼は言いました。彼は、当時のユダヤ人がそうであったように、手に職があり、コリントでは、アキラとプロスカという夫婦の家で、一緒に、天幕造りの仕事をしていました(使徒言行録18:3)。それが、彼の職であったからです。自分の生活は自分で稼ぐということと、全部を献げて教会のために働き、教会の支えによって生きるということは、決してちがうことではありません。

     パウロの場合も、彼の欠乏は、マケドニアから来た兄弟たちが補ってくれたのです。パウロは、コリントの教会に対しては、できるだけ迷惑をかけないように努力してきたし、これからもそうするつもりでいるとは言っても、マケドニアの教会の世話になったという点では、教会に助けられたということでは変わりがないと言わなければならないでしょう。

     そう考えてみると、伝道者の生活は、どうしたら正しく行うことができるのでしょうか。パウロは、ここに、誓いの言葉のようなことを言っています。「わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません」(10節)。それは、キリストの真実にかけて誓う、という言葉です。

     キリストの真実という、真実という原語は、真理と訳せる言葉です。キリストがお与えになる真理ということです。キリストが、最後に、ピラトの法廷で裁かれた時、興味深い問答がありました。キリスト「わたしは真理についてあかしするために生まれ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に身を傾ける」と言われました。すると、ピラトはとまどって、「真理とは何か」と言った、というのがあります(ヨハネ18:37、38)。

     キリストの言われる真理というのは、人を活かす神の力です。だから、真理につく者ということが言われるのです。それは、神の力によって生きている者、したがって、神の力によって救われた者のことでしょう。

     パウロは11節で、「わたしが、あなたがたを愛していないからだろうか」といきなり核心をつくことを言いました。それは、自分の気持ちではない、神がよくご存知である、ということです。愛でもある神ご自身が、パウロの愛情も知っている。パウロは、よくこのことを言います。神の御心によって(ローマ1:10など)。自分に愛があるかどうか、ということを、だれが保証してくれるでしょう。神がご存知でいらっしゃる、というほかに、何も言いようがないではありませんか。パウロは、それをよく知っていました。

     最後にパウロは、「わたしは、今、していることを今後も続けるつもりです」と言います。パウロが現在していることは、福音を伝える相手を愛し、相手に負担をかけないようにすることである。これを続けることでパウロは、伝道が献金として集めるお金目当てでなく、むしろ、神から受けた恵みをそのまま人々に恵むこと自体が伝道の目的であることを示そうとしています。

     パウロはこの少し先、コリントの信徒への手紙二第12章10節でこのように言います。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」。そして、パウロは、コリント教会のキリスト者たちを、そして、今この手紙の読者であるわたしたちを、再臨のキリストへと向かわせるのです。偽使徒たちと、彼らに組する者たちへのパウロの容赦のない厳しさと、使徒として自分の立場と福音宣教のために自給自足で働くパウロの熱情は、再臨のキリストへと向けられているのです。お祈りいたします。