カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 真理を証しするために

    2019年11月24日
    ダニエル書7:13~14、ヨハネ18:28-40
    関 伸子牧師

     ヨハネによる福音書第18章28節以下、ここから総督ピラトの前における主イエスの裁判の記事が始まります。これは長い記事で、この裁判がひと区切りくのは、第19章16節において、遂にピラトがイエスを十字架につけるためにユダヤ人に引き渡すことになる、そこまで至るものです。今は、その前半の記事をご一緒に聴きました。

     主イエスが十字架につけられたのは、どのような手続きにおいてかと言えば、人間が裁いて死刑に定めたのです。イエスの死を望んだのは、誰よりも、ここでユダヤ人と呼ばれている人びとです。宗教改革者ルターは、このところについてした説教の中で簡潔に言いました。「主イエスを裁いたのは聖人たちである」と。しかも、その汚れた者の代表者ピラトを利用することによって、そうしたのです。

     38節の後半には、こう記されています。「ピラトはこう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。『わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか』」。そのとき、ユダヤ人たちは大声で言い返した。「その男ではない。バラバを」。バラバは強盗でした。

     先ほどダニエル書の御言葉を読みました。ダニエル書第7章は「4頭の獣についての幻」ですが、この4頭の獣は中世世界の支配者の象徴になっています。これらの帝国はすでに滅んでいます。これに対して9~10節に登場する「日の老いたる者」とは神を指す表現ですが、その起源は詩編第55編20節「神はいにしえからいまし」にあると思われます。こうして、今日の箇所の13~14節に入ります。雲に乗って現れた「人の子のような者」が「日の老いたる者」の前に進み出て、権威、威光、諸言語の民」に及び、しかも「とこしえに続き、滅びることがない」支配となります。この役割を担う者は、人間を超えた天に属する者ですが、しかし人の子の姿をとる「人の子のような者」なのです。こうして、15節以降、アンティオコス4世を含む地上の帝国の滅亡が予告されてゆきます。

     旧約聖書で「真理・真実」と訳されるヘブライ語〈エメト〉は、動詞アーマン〈堅固である〉からの派生語であり、「堅固なもの、信頼に値するもの、永続的なもの」を表し、多くは「まこと」と訳されます。例えば、「まことの神」といえば、約束を必ず守る、信頼できる神を指します。エメトは「慈しみ〈ヘセド〉」や「公平〈ミシュパート〉」と同義語のように使われています。このようにエメトが依って立つ土台や契約とか律法ですが、新約聖書での「真理・真実〈アレーセイア〉」はイエス・キリストとか福音と結びつけられています。

     ここでひとつの問いが「真理」をめぐるものであることは明らかです。そこで主イエスは言われます。「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」。いうまでもなく、ここにはヨハネによる福音書が第10章16節に伝えてくれている主イエスの言葉が響いてきます。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊を導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける」。囲いの外にいるピラトよ、あなたも導きたい。わたしの声を聞くことができるではないか。わたしの羊になればいい、わたしの真理の中に生きればいい、真理の国に生きればいい、そう主は言われたのです。イエスは「この世に属していない」支配について「真理」を知らせるために来ました。ここでの「真理」は正しい認識というだけではなく、信頼することのできる確かな事実であり、人の生き方に重大な影響を与える力です。しかし、イエスのこの言葉はピラトには負け犬の遠吠えとしか聞こえません。ピラトは「真理とは何か」と吐き捨てると、官邸外のユダヤ人のところに再び出て行きます。

     主イエスは、裁かれつつ私たちを愛していてくださる。裁かれつつ真理を語ってくださる。そして、ほかの何に寄りすがる道を見失っても、この十字架につけられた方だけには、私たちは固くすがることができる。その道を主が拓いていてくださる。私たちは「真理とは何か」ということを、絶望、失望、あるいは軽い揶揄の思いで口にするのではなくて、主イエスが答えていてくださるではないかという喜びの思いをもって、これを思い起こす道がそこに開ける。この真理が、今ここにおいて表される。真理そのものである主イエスが、私たちを招いてくださる。謙遜な心をもって、私たちの日々の生活が真理の道ひと筋のものになることを、ゆるしていただいていることを感謝したいと思います。お祈りをいたします。