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主がお入り用なのです
2026年2月22日
ゼカリア9:9、ルカによる福音書19:28-40
平 尚紀(たいら・まさのり)牧師(成瀬教会)
私が幼い頃、幼稚園ホールの壁に飾られていた大きな絵、そのうちの一枚が今日の聖書の情景を描いた絵でした。小さなロバに乗ったイエス様とそれを喜んで迎える人々の絵です。当時、幼稚園の園長をなさっていた画家の田中清隆さんが書かれた絵ですが、どこかアンバランスでした。イエス様であろう人が乗っているロバがとても小さいのです。それでも、「僕たち・私たちのような小さな子どもでもイエス様は喜んでくださいます。小さな私たちもイエスお役に立つことができるのですよ。」という幼稚園の先生のお話になんだか自分も役立っているような気がしてとてもうれしかったことを覚えています。
そんな私でしたが、あれこれとあって、神学校に通う決意をいたしました。その時は、牧師としてなんて大それたことではなく、こんな自分でも何か神様のお役に立てればという気持ちでした。神学校に入学させていただいた頃、私自身は子ロバのような小さな存在だけども、主がお入り用だと言われたのだから、主が用いてくださるのだからと決意して臨みました。幼稚園の頃のうれしかった「小さな私たちでもイエス様のお役に立てる」という言葉を思い返すような、自分自身を子ロバとして差し出す。そんな気持ちでした。もちろん今でもそうした想いでいます。
しかし、私自身が神学校で学んだこと、気付かされたこと、そして繰り返し語られたことは、「主がお入り用なのです」との言葉を聞いて、それを差し出した持ち主がいたということでした。気付かされたれたことの一つに、私は子ロバではなかったということです。当前のことと言えば当然ですが・・・。イエス様をお乗せして、力強く坂道を上っていく、イエス様を背負い続ける覚悟で神学校に臨みましたが、それは私のおごり・思い高ぶりでした。イエス様を背負い、険しい山道を進みゆくことなど、私にはできません。大事なことは、「主がお入り用なのです」と言われて子ロバをほどくのを許可した、差し出した人がいるということです。何も言わずに黙って差し出した持ち主がいるのです。それが何のために用いられるのか、そのあとにきちんと持ち主の所に返されるのか、それさえわかりませんが、それでも「主がお入り用なのです」と聞いて黙って差し出した人がいたということは事実です。
私がイエス様をお運びする、背中に乗せて進みゆくことなど、おこがましいこと、できもしないことですけれども、イエス様が「あなたが持っているそれを少し貸してほしい」とおっしゃってくださるのであれば、「主がお入り用だ」といわれるのなら、喜んでそれを差し出すものになりたい。そう思うのです。
そんな子ロバじゃ失礼だ。大変だ。困難すぎる。かえって迷惑だ。
私たちはつい、立派で体格のいいロバを差し出すことを考えてしまいます。より良いものを主にお献げしたいと思う気持ちはとても大切なことです。しかし、私たちは立派な馬はあいにく持ち合わせていない、それを用意することができない、などと言って、自分に与えられているものを差し出さないでいる。これじゃあイエス様のお役に立てないと言って差し出そうとしないそうした自分がいることも事実です。
進み行かれるのは、私ではなく主イエスご自身です。
イエス様が求めておられるのは、王が乗る戦いの馬ではなく平和のロバです。まだ誰も乗ったことがないようなそうした小さな存在です。今の私たちに与えられているもの、今のあなたが持ち得ているもの、これじゃあ役に立たないと思ってしまうような、そうしたものであっても「主がお入り用なら」と喜んで差し出すその想いではないでしょうか。どれほど立派なものを献げたとか、どんなに力強い信仰を持っているか。私たちがそこに栄光を求めることではなくて、「いと高き所には栄光があるように」とささげるその想いこそが大事なのではないでしょうか。
それでも、私には差し出すようなものなど何もない。子ロバなど持っていないと感じてしまうのが私たちです。では、あなたにとっての「子ロバ」とは何でしょうか・・・。
ある人は、教会で誠実に奉仕することかもしれません。
ある人にとっては、社会の中で神を証ししながら働くことかもしれません。
ある人にとっては、家庭の中で家族に仕えることかもしれません。
また地域の中で、隣人を支えることかもしれない。
あるいは、何も人前で差し出すことではなく、静まった自分の部屋で一人祈り続けることかもしれません。
あなたに与えられた健康や時間、あなたに与えられた経験、愛情や関心、そうした目に見えないものかもしれません。
先の見えない不安、困難の中にある教会ですが、「主がお入り用なのです。」と言われるその声に応えて、今日も、それぞれの場所で、あなたの「子ロバ」を差し出して歩み出しましょう。イエス様が今日も進み行かれるのですから・・・。