カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • 神は遠く離れていない

    2025年6月22日 詩編25:1~11、使徒言行録17:22~34 関 伸子牧師  「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った」(22節)。パウロは異教文化の中心地で、インテリの代表者たちに正面から伝道をしたのです。「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は認めます」。「信仰のあつい方」、を口語訳は「宗教心に富んで」と訳しました。「信仰のあつい」は誤解を生むでしょう。ここでは一般的な宗教心のことです。「宗教的である」と[…続きを読む]

    幸いな人の昼と夜

    2025年6月15日 詩編1編1~6節、マタイによる福音書5章1~12節 濵崎 孝_引退教職者  詩編第1編は、「幸いな者(アシュレー)」と語り始めますが、英訳聖書(新改訂標準訳など)では、Happyという祝福の言葉から始まっています。そして、詩編第2編の終わりの聖句も、ハッピーから始まり、「幸いな者、すべて主のもとに逃れる人は」(1節c)と語りかけています。ハッピーという祝福から語り始める詩編があり、ハッピーという祝福を語りかけて終わる詩編もあるのですね[…続きを読む]

    こころ開かれて

    2025年6月1日 詩編93:1~5、ルカ24:44~49 関 伸子_牧師  先ほどお読みした、ルカによる福音書第24章44節以下で、その日一日の出来事の終わりである静かな夜更けに、主イエスが弟子たちにみ言葉を語り続けます。主が弟子たちに求めたこと、それは、これからなお、上から霊の力を授けられる、そのときまで、都に留まって、祈り、待ち続けなさいということでした。こうして新しい時代を迎えるための、しばらくの備えの時が始まるのです。  主は、ご自分の昇天を述べ[…続きを読む]

    神を呼ぶ祈り

    2025年5月25日 列王記上18:20~39、マタイによる福音書6:1~15 関 伸子_牧師  今日の聖書箇所を読む私たちには、私たちの行為が二種類に分けられることに気づかされます。偽善者のようにか、あるいは、主イエス・キリストを見つめて神に栄光を帰する行為か。「偽善者」は、マタイがこの語を用いる時には主としてファリサイ派、律法学者が頭にあります。ファリサイ派の人たちは、施しや祈りや断食などの善行をすることによって神に義と認められると考えていたので、それ[…続きを読む]

    神への道を知る

    2025年5月18日 サムエル記下41:17~27、ヨハネによる福音書14:1~11 関 伸子_牧師  ヨハネによる福音書第14章から17章は最後の晩餐の席で語られた主イエスの弟子たちへの告別説教です。この説教の前後に見落とせない表現があります。第13章30節の「夜であった」と第18章3節の「松明や灯や武器を手にしていた」です。この表現は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)にはなく、ヨハネだけが伝えています。ヨハネの意図がどこにあるかと言えば、告別説教が語ら[…続きを読む]