主の栄光が現れる
2024年12月29日 イザヤ書60:1~6、マタイによる福音書2:1~12 関 伸子牧師 「起きよ、光を放て。あなたの光が来て 主の栄光があなたの上に昇ったのだから」(イザヤ60:1)。私たちに主の言葉をもたらす光は地を覆う闇を撤退させます。あらゆる民族がこの光のもとに集まって来る。全ての人が主の弟子となるように招かれています。 この新しい光を見、神の業がなされるとき、人は驚くほどの努力をすることができるのです。東方の博士たちは、遠い道のりを苦労して[…続きを読む]
喜びは尽きず
2024年12月22日 イザヤ7:10~14、マタイによる福音書1:18~23 関 伸子牧師 「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1:20)。聖書に記されているこのみ言葉を聞くと、ああ、受胎告知のことだと、みなさんは、すぐに、ルカによる福音書に描かれたマリアへの天使のお告げを思い浮かべるのではないでしょうか。フラ・アンジェリコを始めとして西洋絵画に数多く描かれている〈受胎告知〉はマリアへの告知です。しかし、マタイ福音書によれば、〈受胎告知〉を受けたのは[…続きを読む]
誰を待つのか
2024年12月15日 士師記13:2~14、マタイによる福音書11:1~6 関 伸子牧師 主イエスはわたしたちの救いのために来てくださる。何の力もなく、幼子として飼い葉桶に生まれてくださるお方です。救いは力によって実現するのではないことをわたしたちに教えてくれる出来事だと思います。 主の御使いが「この子は、イスラエルをペリシテ人の手から救い始めるだろう」(士師記13:5)と預言したのは、旧約聖書に登場する英雄のひとりサムソンのことでした。ペリシテ人に圧[…続きを読む]
民をあがなう神の愛
2024年12月8日 イザヤ書59:12~20、マタイ13:53~58 関 伸子牧師 主イエスは、たとえ話を語り終えるとガリラヤ湖畔を去り、郷里ナザレに行きました。イエスが会堂で教えると、人々はそのすばらしさに驚きました。聖書の中には、「驚く」と訳されているギリシア語は、いくつかあります。しかし、ここに用いられているギリシア語、これはそう頻繁には使われないものです。「本当にびっくりする」。そういう意味の言葉です。 あっけにとられて、これこれのことを言った[…続きを読む]
主の光の中を歩もう
2024年12月1日 イザヤ書2:1~5、マタイ24:36~44 関 伸子牧師 待降節第1主日に、キリストの再臨を述べる箇所を読みました。キリストのご降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。マタイによる福音書第24章36節以下では、「目覚め、わきまえ、備えて」生きるべき存在だと教えています。 ノアの時代の人々は、洪水が襲ってくることにも、それがいつ起こるのかも気づくことができませんでした。洪水は人間には計り知れない神の思いに[…続きを読む]