主イエスと共に
2026年2月15日 ヨナ1:1~2:1、マルコ4:35~41 関 伸子_牧師 主イエスの宣教はヨルダン川での受洗に始まり、まずガリラヤ湖の周辺で展開されました。ガリラヤ湖の漁師たちが弟子として召され、湖畔の町カフェルナウムが御自分の町になり、そこから全ガリラヤ地方に福音が伝えられて行きます。そこで主イエスは湖上に浮かぶ舟から岸辺に並ぶ群衆に向かって種々のたとえを語られますが、その意味を弟子たちだけには説き明かします。 先ほどお読みした箇所もガリラヤで[…続きを読む]
救いに突き進む
2026年2月8日 詩編147:1~11、マルコによる福音書2:1~12 関 伸子_牧師 主イエスの宣教はカフェルナウムで始まりました。今日の聖書箇所の前のところで主はひとたびカフェルナウムに戻り、つぎつぎと奇跡の業を行います。主が体の麻痺した人を癒やす出来事は会堂で起こるものではありません。家での出来事です。この家はペトロのしゅうとめの家だったのではないかといわれています。そこに人々が大勢集まります。戸口まで一杯に押し寄せた群衆は今やイエスの言葉を期待[…続きを読む]
神の言葉の種蒔き
2026年2月1日 詩編126:1~6、マルコ4:1~20 関 伸子_牧師 主イエスは多くのたとえを話されました。もともと主がお語りになったたとえの意味は人びとにまず分かったと思います。たとえというのは、人の理解を助けるために語るものです。自分の言いたいことを何とかつたえようと努力をしているときに、身を乗り出すようにして、「たとえてみれば」というような調子でたとえを語り始めます。主が語ろうとした神の国は、抽象的なものでもないし、観念的なものでもないし、単[…続きを読む]
驚きを知る
2026年1月25日 申命記30:11-15、マルコ1:21-28 関 伸子_牧師 「これは一体何事だ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聞く」(27節b)。これは、主イエスがガリラヤのカフェルナウムという町にあるユダヤ教の会堂で伝道を始められた時に、人々の口から出た最初の驚きと反応を示す言葉です。「権威ある新しい教え」、これが、主イエスが人々に与えた第一印象だったのです。 しかし、主イエスが何を語られたのかは、全く記され[…続きを読む]
呪いを断ち切る祝福とは
2026年1月18日 創世記12章1~4節、ローマ4:1~3 内田 弥生_中会神学生 創世記第11章32節「テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。」の最後の節と、本日の12章1節には大きな裂け目があるのです。 人類とイスラエルの歴史、すなわち、イスラエルの呪いを受けた人類の歴史を背負っていますが、神の祝福はその呪いを断ち切り、アブラムに新しい道を開いてくださいます。 12章のこの始まり「主は、アブラムに言われた。」この言葉によりすべての[…続きを読む]