見るべきものに目を向ける
2021年4月11日 イザヤ書65:17~25、マタイ28:11~20 関 伸子牧師 復活の主イエスが墓を訪ねた女たちに現れ「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」と言いった後の女たちと番兵たちの対応はまったく違っていました。 祭司長たちは、イエスの弟子たちがやって来て彼を盗み、「彼(イエス)は死人たちの中から起こされた」と言うかもしれないからという表面上の理由で、イエスの墓に番兵を配[…続きを読む]
喜びを伝える
2021年3月24日 出エジプト14:15~22、マタイ28:1~10 関 伸子牧師 Happy Easter! 十字架で殺されたイエス・キリストが三日後に墓から復活された。このことを喜び祝うイースター礼拝をささげています。最近、荒瀬先生が編集された『イースターへの旅路』という教会暦による説教集に収められている関野和寛先生の聖金曜日の説教の語り出しに驚きました。「『わたしはイースターおめでとう!』とイースターに交わされるこの挨拶が私は大嫌いだ!『おめでと[…続きを読む]
十字架の王
2021年3月28日 ゼカリヤ書9:9~10、マタイ27:45~56 関 伸子牧師 棕梠の主日を迎えました。主イエスは前夜ゲッセマネで祈った後に、この日は聖地エルサレムを囲む城壁にいくつかある門に達して、弟子たちが近くで調達した子ろばに乗って、弟子たちを含む大勢が服を脱いで地面に敷き、あるいは植物の枝を敷いた地面を踏んで、城内へ入城しました。 先ほどお読みしましたゼカリヤ書第9章9節から10節は、このことを預言する言葉として新約聖書に引用されます。シオ[…続きを読む]
仕える者となる
2021年3月21日 詩編118:1~9、ローマ8:8~11 関 伸子牧師 パウロはキリスト者を熱心に迫害する者でしたが、ダマスコ途上において、天からの光に打たれ、なぜあのようにあざやかな回心をできたのでしょうか。そのことについてはいろいろな説があります。その一つの説明として、パウロがキリスト教徒を迫害したのは、律法による行いによって救われようと努力した結果であった。しかし、そうすればするほど、律法によっては救われない自分に気がつき、自分には救われる何の[…続きを読む]
これに聞け
2021年3月14日 出エジプト24:1~11、マタイ17:1~13 関 伸子牧師 主イエスは三人の弟子たちを高い山に連れて行き、天の唯一の王国とその栄光を見せました。山の頂に立ってその見晴らしに心を奪われる時に、私たちを取り巻くものとも一つとなる体験をすることがあります。子どもが生まれるのに立ち会う時、家族との食事、あるいは礼拝中や静かな部屋で祈っている時にも起こるでしょう。今まで望んでいたことがすべてここにあるという瞬間です。三人の弟子たちは、主イエ[…続きを読む]