主よ、私たちを再び回復させてください!
詩編第85編1~7節 レベッカ・ザード牧師 今朝、皆さんと御言葉を分かち合えることを感謝します。みなさんが神の国で起こっていることに関心を持ち、福音を伝える励みとなることを祈ります。神が私を召されたこの道になぜ私が興奮しているのか理解していただくためは、神が私に経験させてくださったことについて、少しお話しする必要があります。 ジェイミー・A・グラントが書いた注解書によれば、詩篇第85編1節から3節は、神の恵み深い好意から生じる赦しが完全であることをたた[…続きを読む]
イエスの愛に生きる
2024年4月14日 イザヤ書61:1~3、ヨハネによる福音書21:1~14 関 伸子牧師 復活のイエスは、マグダラのマリア、ペトロと主の愛した弟子に現れ、かつて弟子たちと過ごされたティベリアス湖にも現れます。ここで誰もがこの福音書を読んだときに疑問に思うことがひとつあります。それは第20章において、マグダラのマリアから始まり、甦りになったイエスに会った人たちが何人もいた。弟子たちもそうであった。主にわざわざ訪ねていただいて「平安があるように」と祝福を受[…続きを読む]
平安のうちに遣わされる
2024年4月7日 出エジプト15:1~11、ヨハネ20:19~29 関 伸子牧師 マグダラのマリアは、主イエスと一対一の交わりをしていたので、復活の主イエスに「マリア」と声をかけられると、その声をおぼえていて、「ラボニ(私の主)」と反応しました。復活の出来事はすぐには分かりにくいことですけれども、復活した主イエスが度々現れることによって弟子たちは徐々に受け入れることができます。神の霊は、主が復活して、主の民の中におられることを悟らせます。 ヨハネによ[…続きを読む]
復活の主にお会いして
2024年3月31日 イザヤ書55:1~11、ヨハネによる福音120:1~18 関 伸子牧師 ヨハネによる福音書の復活物語にはイエスの近しい人々が次々に交差します。そしてここでは、複数の女たちの中でも特にマグダラのマリアに焦点が合わせられています。週の初めの日の明け方、一人で墓に向かったマグダラのマリアは、墓から石が取りのけてあるのを見て、ペトロともう一人の弟子に「誰かが主を取り去りました。どこに置いたのか、分かりません」と告げます。「誰かが主を取り去り[…続きを読む]
失われない自由
2024年3月24日 詩編64:1~11、ヨハネによる福音書18:1~11 関 伸子牧師 ヨハネ福音書はいよいよ第18章から受難物語へと入って行きます。 「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒にキドロンの谷の向こうへ出て行かれた」(1節)。キドロンというこの地名は、どういう意味なのか。今日では、ほぼその解釈は一致していて、「暗い谷」という意味だと言います。オリーブ山とエルサレムの都を隔てているのがキドロンの谷であったようです。他の福音書で言うとゲッセ[…続きを読む]