天の国への招き
2025年2月16日 イザヤ書30:18~21、マタイによる福音書15:17~20 関 伸子牧師 主イエスは「私が来たのは律法や預言者を排しするためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、感性するためである」(マタイ5:17)と厳かに語り始めます。これ以降の特徴は、権威に満ちた「私」の登場にあります。「私は来た」はマタイに四回現れますが、そのいずれもがイエスに向けられた誤解を訂正するために使われます。たとえば第9章13節では、ファリサイ派の人々の誤[…続きを読む]
神の言葉が聞こえるか
2025年2月9日 イザヤ書6:8~12、マタイによる福音書13:10~17 関 伸子牧師 マタイによる福音書第13章には「天の国のたとえ」が七つ集められています。主イエスは「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」(3節b)と語り始めます。 家を出て行く主イエスこそが種蒔く人です。パレスチナでは、まず種を蒔いてからその後で土地を耕します。そのため無駄になる種も数知れず、収穫の率も決して良くはありません。しかし、農夫は豊かな実りを信じて種を蒔き続けます。あ[…続きを読む]
主と共に歩む
2025年2月2日 詩編84:1~13、マタイによる福音書21:12~17 関 伸子牧師 主イエスの時代のエルサレム神殿の境内には、一番外側に「異邦人の庭」と呼ばれる所があり、そこにはささげ物の鳩を売る店や、外国貨幣をユダヤやフェニキアの金に換える両替人もいました。各地から人々は神殿に集まって来ましたが、彼らは神殿に納入金を支払うため、ギリシアやローマの通貨を、ユダヤの通貨に両替しなければならなかったからです。両替人は、集まってくる人々から多くの手数料を[…続きを読む]
中心の移動
2025年1月26日 イザヤ書8:23b~9:6、マタイによる福音書4:12~17 関 伸子牧師 1月19日から6週間イスラエルとイスラム組織ハマスとの停戦合意により停戦していますけれども、聖なる地と呼ばれるところが戦争をしているというのは、どういうことでしょうか。愛そのものであった主イエスが、そこを歩まれ、それだけに特に愛されたその土地が、今なお、最も激しい憎しみが宿っていることを思うと心が痛みます。 マタイによる福音書第4章12節以下のところに書か[…続きを読む]
第一歩を踏み出せ!
2025年1月19日 エゼキエル書2:1~3:4、マタイによる福音書4:18~25 関 伸子牧師 イエスさまはガリラヤ湖のほとりを歩いておられました。歩きながら、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を売っているのをご覧になって歩み寄ります。招かれた人たちは漁師でした。ペトロはベトサイダ出身で、後にカフェルナウムに移り住み、結婚もしていました。彼は強くなまった言葉を話したようですし、律法の教育を受けていない普通の人でした。アンデレ[…続きを読む]