少しも無駄にならないように
2024年2月11日 列王記下4:42~44、ヨハネによる福音書16:1~15 関 伸子牧師 パンをわかちあうことは神の愛の現れであり、ヨハネは主イエスのなさったしるしを神の国の食卓へと結びつけます。ヨハネによる福音書第6章で舞台となる場所は人里離れた山の中、あるいは丘の上。ガリラヤ湖の別名であるティベリウス湖は皇帝ティベリウスにちなむローマ式の名称であってヨハネ福音書だけがこの名称を用います。共観福音書はイエスがここに来られた理由を明らかにしています。[…続きを読む]
真実な存在は語る
2024年1月28日 詩編125:1~5、ヨハネによる福音書8:21~30 関 伸子牧師 ヨハネ福音書第8章12節で主イエスは、「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と、ファリサイ派の人々の前で言われました。仮庵祭の間エルサレムの町のあちらこちらに、神殿を中心として火がたかれ町を明るくしていたようですけれども、イエスの光はそのような狭い所を照らす光でも、ユダヤ人だけを照らす光でもなく、全世界のすべての人を照らす光であるというのです[…続きを読む]
そっと救う神
2024年1月21日 出エジプト33:12~23、ヨハネ12:1~12 関 伸子牧師 ヨハネによる福音書第2章に、カナでの婚礼でイエスさまが「しるし」を行ったことが書かれています。カナの地で主イエスが伝道なさったときに最初に主イエスが招かれて婚礼に連なり、またその婚礼の喜びに人びとを招かれた。ヨハネによる福音書は、キリストの教会はこの婚宴の喜びを知るところにあると言いたいのではないでしょうか。そこから信仰の歴史が始まり、伝道が始まりました。 ガリラヤの[…続きを読む]
イエスといっしょに留まる
2024年1月14日 サムエル記上3:1~10、19、ヨハネによる福音書1:35~51 関 伸子牧師 ヨハネ福音書第1章35節以下に、主イエスと最初の弟子たちとの出会いの場面が描かれています。洗礼者ヨハネは自分の弟子たちに、アンデレは兄のシモンに証しをしました。そこには信頼関係があります。 主イエスの最初の弟子となったシモン・ペトロとアンデレの二人が、イエスのあとについて行くと、イエスの方が「振り返り」、先に言葉をかけられます。「何を求めているのか」。彼[…続きを読む]
希望の約束に生きる
2024年1月7日 イザヤ書30:15~26、ヨハネによる福音書17:6~19 関 伸子牧師 新年早々、落ち着かない日々を過ごしていますけれども、今年最初の主日礼拝において御言葉から希望の約束を聴き取りたいと思います。 ヨハネによる福音書第17章で、主イエスはとりなしの祈りの中で、繰り返し、神とキリストは信じる者たちといつも共にある、と祈ります。この祈りによる希望の確信は、ユダヤ教徒との軋轢、またローマの迫害の中で、キリスト者の群れを支え、導きました。[…続きを読む]