カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 主イエスを信じなさい。あなたもあなたの家族も救われます。

    2019年4月28日
    ヨシュア記24章14節〜15節 
    使徒言行録16章25節〜34節
    石塚 惠司牧師

     1. 家族の救い:家族の救い、これは私たちみんなが願っていることだと思う。実は切実な私の祈りの課題でもある。妹家族の様子を聞いて、この箇所を読み返し、自分に語ってくるみ言葉に心を新たにした。

     2. 「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」 牢の看守が、投獄されていたパウロとシラスの二人に語った言葉、それが「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」(16:30)だった。「救われるために・・・」と語る看守の真意は何か?状況はこうだ。突然、大地震が起こり彼らのいた牢の土台が揺れ動き、牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。寝ていた看守は地震で飛び起き、牢を見ると戸がすべて開いている。それを見た彼は囚人が逃げたと思った。囚人が逃げたのは誰の責任か?この時代、その責任を取らされるのは看守だった。「死刑になる!」と考えた彼は「俺が責任をとるしかないのか」と自害を決意。その時だった。彼の耳に大きな声がした。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる!!」。明かりを手にした看守は牢に飛び込み、パウロとシラスを牢から連れ出し、彼らに必死の思いで助けを求めた。それが「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」だった。

     3. 看守は救いを求めた:死刑を覚悟した看守は死刑から救われる方法を求めた。「これまで自分は神様に背を向けていた。悔い改めます」という宗教的な思いではなかった。もっと切実な叫び、願いだったのではないか。彼は「ここから逃げ出したい。どうしたらいいんだ!!」。「先生方、この俺の命が救われるためにはどうすべきですか?」

     4. パウロとシラス、看守に語る思いがけない言葉:命乞いをしている彼に、思いがけない言葉を投げかけられた。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」。彼の関心は「どうやって自分はこの状況から逃げられるか」。「囚人たちに牢にいてもらうにはいくら払う必要か」だった。わたしはパウロの言葉は看守の願いに答えていない、と思った。彼が期待していたのはそんな答えではなかった。パウロとシラスが看守にした答えを別の場合で考えてみよう。あなたが病気だったとしよう。治療について医者に聞くと医者は答える。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と。もしそんな答えが返ってきたらあなたならどう思うか?これはあなたが期待する答えだろうか。「そんなことは聞いてはいない!!」これが、私が医者にぶつける言葉だ。「逃げたい」。「助かりたい」。「牢が壊れどうしたらいいか分からない。助けて欲しい」。これが看守の叫びだった。パウロとシラスの答えは答えになっているか?

     5. パウロとシラスの語った真意は:その答えは看守に一番大切なことだった。パウロとシラスの二人が交互に彼を諭すように看守に語った。聖書は「二人は言った」(31)と丁寧に語る。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と。その意味は、第一にすべきことは、主イエスを信じること。それはイエスがあなたの主であり、あなたを愛してくださっている、と認めること。そうすれば主イエスが働いてくださり、あなたを救ってくださる! その意味する第二は、あなたの家族をも救ってくださる。なぜなら主イエスはあなたの家族のことも愛してくださっているから。ということ。自分で問題解決をするのではなく、主イエスに働いてもらいなさい、ということだった。

     6. 主イエスは家族を愛される方:ペトロの姑が熱で苦しんでいる、と言えばイエスはかけつけた(マルコ1章30節から)。マルタとマリアの兄弟、ラザロが死んだと聞けば、イエスはそこに駆けつけた(ヨハネ11章1節から)。十字架のもとで悲しむ母マリアを弟子のヨハネに預けた。使徒言行録1章にはイエスの兄弟と母マリアが弟子と一緒にいる。イエスは家族を愛していた。

     7. 看守家族全員が主イエスの話を聞き、全員が洗礼を受けた:「主イエスを信じなさい。・・・」と聞いた看守はパウロとシラスの言葉を聞いて、自分の期待したことが果たしてその通りになるだろうか、と半信半疑だった。しかしパウロとシラスは真夜中だったが、看守の家に行き、イエス・キリストの話をした。彼ら一同は驚き、彼の家族は皆、主イエスを信じて洗礼を受けた。家族の誰かが信じて、自動的に家族全員が救われるなら、パウロは看守一人だけに洗礼を授けただろう。しかしパウロは看守とその家の人たち全員に主の言葉を語り、洗礼を授けた。それはなぜか。神が一人ひとりを愛しているからだ。こうして看守は家族と共に、新しい人生を歩みだした。牢が倒壊し、自害を決意した彼は自分の中で自我が崩壊し、主イエスと共に生きる生活を見出した。さらに家族も共に新しい人生を始めた。クリスチャンの生活とは、いつでもどこでもイエスが登場してくださる生活だと思う。主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。これは信仰の冒険だ。一番身近な家族のことを主イエスは愛してくださっている。私は信じたい。

     8. 私が出来る2つのこと:
    1)迷った時、病気の時、進路を迷った時、どんな時にも、まず主イエスを信じること。主イエスはわたしを愛し、家族も愛してくださっているから。2)賛美すること。パウロとシラスは自由が奪われた囚人だった。しかし彼らは牢で賛美した。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」。パウロはこのように命じた。しかしこれには根拠がある。主イエスは24時間私たちを見守り、その祈りを聞いてくださっているからだ。

     9. 最後に:家族への祈り、これは生涯続くだろう。しかし覚えておきたい。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」主イエスが私を愛し、家族を愛してくださっていることを。