カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • もうひとりの助け主

    2020年3月8日
    イザヤ書40:12~17、ヨハネ14:8~17
    関 伸子牧師

     今日は、三位一体主日です。主イエスの死と復活、聖霊降臨を祝ったキリスト者は、その救いが父と子と聖霊のわざによるものであることを思い、そのことを味わいます。三位一体という言葉は聖書には記されていませんが、これを示唆する言葉は多く含まれています。

     本日ご一緒に読む第14章8節から17節に、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」(16、17節)と記されています。聖霊は、イエスが去った後を継ぐ、別の弁護者と言われる。主イエスは、私たちの思いを超えた主の霊を私たちと一緒にいるようにしてくださいました。

     主イエスが、もうしばらくすると自分はいなくなるということを言われたので弟子たちは心配しました。それに対して、イエスは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある」と言われました。「神を信じなさい」、「わたしをも信じなさい」というのは直訳すると、「神の中に信じなさい」、「わたしの中に信じなさい」となります。神を外側に見て考えるということではなく、神の中に入ってしまう。またキリストを自分の前において眺めるのではなく、キリストの中に自分が入ってしまう。相手の中に自分を没入してしまえば、その時にその者を信じ切ることができる。そういう強い御言葉です。そして主は言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(6節)。

     するとフィリポが「主よ、わたしたち に御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言う。主イエスは言われる。「フィリポ!」これはイエスの驚きを示します。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」(12節)。イエスはご自分の語る言葉が真正なものであることを確証してこう言い始める。

     「もっと大きな業を行うようになる」という言葉から「少年よ、大志を抱け」と、ウィリアム・スミス・クラークという札幌農学校を開校して初代教頭になった人が語ったことばを思い起こしました。専門の植物学だけでなく、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた。「少年よ、大志を抱け」ということばは、「Boys, be ambitious in Christ (God)」、つまり、「少年よ、キリスト(神)にあって大志を抱け」と言ったという説もある。人はいかにして大志を抱き得るか。イエスの御言葉に勝って、人に大志を抱かせるものはなく、また大志の秘訣を教えるものはないと思います。私たちの罪のために死に、死んで復活された栄光のイエスを信じる時に、人はどれだけの大事を成し得るか、その限度を知ることはできない。イエスは伝道のわざと、それを果たす力、聖霊を与えてくださったのです。

     主イエスは弟子たちに言われました。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(15節)。イエスを愛することはイエスの父なる神を愛することであり、イエスの命令を守ることは、イエスの父なる神の命令を守ることである。具体的にその命令とは、イエスの弟子たちが互いに愛することであり、その命令を守ることは永遠の命そのものにつながる。

     人を愛するとはどういうことか。宗教改革者カルバンは主の祈りの「われらが罪を赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」を解説して、次のように言う。神が私の罪を赦してくださるということは、もちろんイエス・キリストのあがないを信じることによって信じることが出来る。しかし、私たちは神でもないのに人の罪を赦す権利があるのか、また赦すことが出来るのか。それは出来ない。ただ私たちは人の罪、人からされたことを忘れることが出来るだけである。それがここにある人の罪を赦すということだ、と。私たちの胸に迫る言葉ではないでしょうか。人からされたことを忘れる。いつまでも憎しみに生きているのではない。お互いが関係してくるとき私とあなたという人格関係が生まれてくる。そのいちばん深いものが愛である。神がイエス・キリストを通して、罪人である私をひとりの人として認め、呼びかけてくださったところから、まことのいのちに生まれて来る。神が私をひとりの人間として赦してくださった、そこで私は他の人をひとりの人間として認め、尊重し、交わりをもってゆく。

     「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」。ヨハネの教会に属する者は、この言葉によって、イエスも聖霊も受け入れようとしないユダヤ人の姿を見たのである。しかし、世とは違って、共同体は、霊を知り、霊の現在を体験し、互いに愛することをもって掟を守った。厳しい状況にある私たちに今日与えられたこのみ言葉を心に刻んで、執り成しの祈りをささげてゆきたいと思います。