カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神の国はここに

    2023年3月5日
    世記6:11~22、ルカによる福音書11:14~28
    関 伸子牧師

     弟子たちに祈りを教えた後、主イエスは一人の口の利けない人から悪霊を追い出しました。いわゆる「ベルゼブル論争」と名付けられている場面です。今、主イエスに出会ったのは、「口をきけなくする霊」(14節)です。「口の利けない」という表現は、「耳の聞こえない」と訳すこともできる語であり(ルカ7:22)、口や耳を不自由にするのは悪霊の仕業でした。うつ病や自閉症の人々に出会いますが、その人たちはみな一様に、なかなか口をきくことができません。そこには人間を越えた何ものかの力が働いているように見えます。

     主イエスは悪霊たちを制し、人々の煩いをいやす権威ある力を持っており、この悪霊を追い出しました。これを見た群衆は驚きますが、この「驚く」という語が、「黙る」という語と共に用いられる場合もあることを考えると、群衆はイエスの業を目の当たりにして声も出せなかったのかもしれません

     人々の非難は、イエスがベルゼブルの力を使っている、というものでした。「ベルゼブル」は列王記下の第1章に登場するペリシテ人の町エクロンにまつられていた偶像神で、ペリシテ人たちの神バアル・ゼブブ(蠅)に由来します。かつて北イスラエル王国のアハズ王(在位前822年-前851年)は病気になった時、このバアル・ゼブブの所に使者を送り、助言を求めました。ユダヤ人から見ればもちろん偶像であって神ではないものです。神でもないもの、偶像に魂を売り、その手先になって悪霊を追い出す者だ、というのですから、実にひどい罵倒なのです。

     しかし、イエスさまというお方はたちどころに相手の矛盾をつく才能をもっておられます。まず第一に、もしイエスの悪霊祓いが悪霊の頭ベルゼブルによるものだとしたら、サタンの王国内の内紛のようなことになるわけで、そんなことをサタンがするだろうかということになります。第二に、イエスの業が明かされるのかと逆に問いつめておられます。当時、悪霊祓いというのはユダヤ人の間でも行われていたようです。いずれにしても、こうしたイエスの反論によって、いかに敵対者の非難がでたらめであったかが暴露されているのです。

     そして、イエスはこのように反論してから、この悪霊を追い出した業が何を意味しているのかを説明します。それが、20節以下です。「しかし、私が神の指で悪霊を追い出しているのなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ」。「神の指」とは聖霊のことです(マタイ12:28)。間違ってはならないのは、それは人間の力ではなく、「神の指」であるということです。主イエスは人間を苦しめているものに敢然と立ち向かいます。そして、勝利を収めて究極の救いを与えられるのです。

     この結論は、「私と共にいない者は私に反対する者であり、私と共に集めない者は散らすものです」という主イエスの言葉です。「私と共にいない者は私に反対する者」、これは、イエスが弟子たちと共に労苦して人々を集め、神の王国を立て挙げていくことを示唆しています。ここで人々は、中立的な傍観者となることはできないのです。「私と共に集めない者は散らす者である」。旧約聖書の預言者たちは、アッシリアやバビロンに散らされた神の民たちを、いずれの日か神は再び諸国から集められると言って、散らされた者を集めるという組み合わせで、やがて来るメシアの救い、神の民の回復を預言してきました。預言者たちがこのように預言していた預言の成就として、今、主イエスは、散らされている神の羊たちを集めておられます。主イエスは真に、散らされた者が一つに集められて神の国を成すという、そのことのために働かれるお方であると、聖書は証言しています。

     主イエスは弟子たちに「御国が来ますように」という祈りを教えました。しかし悪霊を追い出した時は、「神の国はあなたがたのところに来たのだ」と告げました。神の国の来るのは未来のことか、それとも現実の世界のことか。この問題は古来いろいろに論じられてきました。しかし、私は、神の国は、神の霊の働くところ、今、ここに、臨んでいると思います。

     最後に主イエスが父なる神に祈り求めることを教え、悪霊の支配に勝る神の国の到来を告げると、ある女が多くに人々の中から目立つ形でイエスに語りかけました。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」(27節)。確かに、神は聖霊によってマリアの胎内にイエスという子を宿し、そのイエスを通して多くの神の御業を実現させます。しかし、ここで重要なのは、マリアの胎そのものよりも、それを通して生まれて来た、神の子から、神の言葉を聞いて守ることであり、そうして初めて、幸いなことに、貧しい人々には、神の国が到来し、飢えている人々は満たされ、泣いている人々は笑うようになるのです。

     神の霊によって悪霊を追い出された私たちは、「御国が来ますように」と祈り、神の霊を私たちの中にいつもいただき、悪霊が留まるのではなく、常に、神の霊を私たちの中に宿していただけることを祈り求めていたいと思います。祈ります。