カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • もう渇かない

    2023年11月19日
    イザヤ書12:1~3、ヨハネによる福音書4:1~15
    潮田 健治牧師 (隠退牧師)

     「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」これは、ある時、教会にお水をもらいに来た人に私が渡した聖書からのコピーです。その人は、「占い」によって神社などでお水をもらって飲み続けなさいと言われたそうです。心に渇きがあったのでした。

     イエス・キリストは、民族的に交際しないサマリアの女性に、その人目を避ける行動から、何かあると受け止め、声をかけることから始め、先ほどの言葉を言われたのです。主イエスは、はたして彼女に家庭の問題、そこに渇きがあることを見通していました。心が渇く、満たされない、それで、あれやこれやして来たのです。しかし、結果的には、もっと悪い状況に落ちていったのです。

     主イエスは言われます。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。」その水ではない、また、人目を避けるような、心に鍵をかけ、自分を閉じるばかりの人生ではなく、今、新しい水を必要とする時が来たと、招かれたのです。

     新聞に「水源のない川」として紹介された、蓼川(たでがわ)という川があります。水源は埋め立てられ、クリーニング工場になり、流れている水は工業排水であり、近くの家々から流れ出る生活排水なのです。私たちも、忙しくはしていても水源がなく、そんな水を流していたら、いずれ枯渇するに違いありません。「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」その水を手に入れなければ、ならないのです。主イエスは、交際しないこのサマリアの人に声をかけられたのです。過去にどのような歴史があろうとも、あるいは過去にどのような人生があろうとも、神を知らず神と交際しなかった人であっても、主イエスは、その人に新しい物語を作られる。

     私が出会った一人の方は、心の病を半生、背負ってこられました。人目を避けて競馬に行きました。「競馬に行っているときが一番落ち着いたよ。みんな馬の方を見ているからね。」そうせざるを得ない、人目を避け、逃げ回るような得体の知れないものに支配されてきた半生でした。しかし、洗礼を受けてから、この方は競馬から離れました。口癖のように言われるのは「先生、罪のない人はいないよね。でも、罪は赦されているんですよね。」人の視線ではなく、自分を見つめるようになったのです! 今、イエス・キリストに出会い、「永遠の命に至る水が湧き出た」のでした。私たちがすることは、「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」と言われた水源のコックを開くことだけ、ただ当たり前のその一つをすればよいのです。