カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神のみに立つ希望

    2023年11月12日
    創世記12:1~9、ローマの信徒への手紙4:13~25
    関 伸子牧師

     今日、みなさんとご一緒に読むローマの信徒への手紙第4章は、とても大切な信仰の道筋を与えてくれます。ここでパウロは、旧約聖書の創世記が語っている、アブラハムの信仰を思い起こしています。

     「世界の相続人となるという約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるのです。もし律法に頼る者が相続人であるとするなら、信仰は空しくなり、約束は無効になってしまいます」(13~14節)。
    律法によって救いは得られない。律法は駄目だ、ということは、私たち日本人には、それほど大したことには思われないかも知れません。しかし、律法こそ生命であると思っている人たちの話です。その律法が役には立たない、というのです。それだけではなくて、15節には、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません、とさえ言いきっているのです。

     これは大変驚くべきことです。パウロは、後に、第7章において、律法そのものは聖なるものである(12節)と言っています。聖なるものであり正しいものであり善なるもの、と言われる律法が、ただ怒りを招き、違反を引き起こすだけである、というのはどういうことでしょう。それは、ユダヤ人であるパウロにとっては、天地がひっくりかえったほどのこと、そういう言い方なのです。ここで大切なことは、14節の言葉です。もし、律法に立つ人々が相続人になるとすれば、神の約束は無効になってしまうではないか、ということです。

     「相続人(クレーロノモス)」とは、「分け前(グレーロス)」を受け継いで「所有する(ネモマイ)」人のことです。「子孫(スペルマ)」とは、子「種」(直訳)のことであり、ここでは神の祝福によって増やされたアブラハムの子孫のことです。そして、当初、この子孫にはエジプトからユーフラテスに至る土地が約束されましたが、主なる神は、アブラハムに対して、その子孫を、空の星はおろか、浜辺の砂のように多くする、と言われました(22:17)。そしてその子孫には福音の広がる世界の果てまで、さらには天の故郷まで与えられるのです。そして、地のもろもろの国民が、アブラハムによって祝福を受けるであろう、と言われます(22:18)。そして、その理由として、「あなたが私の言葉に従ったからである」(22:18)と言われました。

     ほかの誰でもないアブラハムを、神はお選びになりました。「彼は、望みえないのに望みを抱いて信じ、その結果、多くの国民の父となりました」(18節)。この第4章のなかで有名な御言葉です。口語訳は「望みつつ信じた」とありました。改革者カルヴァンが書いた注解書を見ると、「このアブラハムは、望みに逆らってなお望みにおいて信じた」と書いてあります。「望みに逆らって望む」。何のことだかよく分からないところがありますが、しかし、この翻訳を取る方も多いのです。ある人はさらに、「彼は望み得ないことを望みつつ信じたのだ」、そう訳しています。私は口語訳も悪くないと思います。

     信仰はとびこんでいく勇気が与えられます。みなさんは、老年、老化があらゆる自分の可能性をうばってゆくと思っていないでしょうか。しかし、それはこのアブラハムの老年とは反対です。アブラハムは、本当にその信仰が弱らなかったのでしょうか。アブラハムも実は弱かった。けれども同時にアブラハムは、神のもつ、「しかし」を与えられています。パウロは、「せんかた尽くれども望を失わず」と言いました。このように、いつも神の望みは「望みに逆らって」やってきます。そしてこのことはアブラハムのためだけではなく、私たちのために書かれているのです。私のため、あなたのためなのです。私たちにもこの神のみに立つ希望が与えられています。

     それは「神を賛美しました」(20節)。この一句は、「神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと確信していたのです」という句とともに、いかにして信仰を強めるか、ということの説明になっています。しかし、それにしても、神に栄光を帰する、と言う言葉は大切な言葉です。栄光を神に帰するというのは、美しい言葉ですけれども、実際の生活において神に栄光を帰するというのは、容易なことではありません。しかも、神の約束を信じるとは、まさに神に栄光を帰することなのです。それは、信仰をもって神の言葉を受けること、また、愛と真実をもって神に仕えることでしょう。カール・バルトはここを注解して、「かのごとくに心から神に栄光をささげることは、あらゆる知恵にまさる知恵、あらゆる義にまさる義、あらゆる礼拝にまさる礼拝、あらゆる献げものにまさる献げものである」といっています。私たちの礼拝こそ、神の約束に対する絶対の信頼をささげ、神の力を最も強く確信する時です。その礼拝においては、神のみが神であり、神の約束のみがより頼むべきものであることを信じて、栄光を神に帰する時です。お祈りをいたします。