カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 今この時、隣り人に

    2019年10月27日
    ヨシュア記24:4~5、コリントの信徒への手紙二6:1~10
    めぐみ教会代務者 石塚 惠司牧師
                             
     ヨシュア記24章の鍵となる言葉は「主に使える」。ヨシュアは『私と私の家族とは主に使える』と語り、自覚的に信仰を告白している。私たちにとって家族伝道は日々の祈りだ。その道半ばにあり、苦闘している自分がいる。父の祈りにはいつも『私と私の家とは主に仕える』があったが、それは今の私の告白でもある。今日はここでブラジルの友人、桑野まり子さんに証ししていただく。私は彼女から大切なことを学んだからだ。神がなされた足跡をここに残しておきたい。

     神様に導かれ、守られている私と家族
     私はブラジルのマッタ・デ・サン・ジョアンの教会員の桑野まり子です。今日は10年ぶりに二人の娘と共に日本に来ました。この旅は観光旅行でしたが、日本で出会った先生、友人を訪ねる旅でもありました。そしてこの旅は72年間神様が私にしてくださったお導きと守りを再確認することの旅となりました。

     神様との出会いは、1947年、私が0歳の時です。私は0歳から中学卒業の年まで、カトリック教会の施設で育ちました。私は0歳の時、病弱だったので、シスターたちが心配して私に幼児洗礼を授け、10歳の時、聖体拝領を受けカトリック信者になりました。

     中学を卒業し、働き始めました。20歳から23歳頃、友人がどんどん結婚していくのを見て「人生ってあっけない」と思いました。私は「いつか外国に行きたい」という夢を持ちました。外国から来ておられたたくさんの修道士の姿を見ていたためかもしれません。

     神様はそんな私に働きはじめました。大阪移住事業団を通し、海外移住研修会に出席しました。そして機会があれば移住したいとの思いを持ち待っていました。すると不思議な出会いが与えられました。(話せば長いので省略しますが)、1982年、ブラジルのバイア州JKの桑野輝雄さんが紹介されました。そして結婚しました。しかもそこは教会でした。その教会というのは高座教会から移住した佐々木三雄長老が礼拝を続けている教会でした。佐々木長老の司式で結婚式を挙げました。夫となった輝雄さんは後で知ったのですが、佐々木さんの教会で洗礼を受けたクリスチャンでした。
     大阪の東住吉の施設から始まった私の人生には心休まる所がありませんでした。でも神様はこの私にブラジル、JKで心休まる教会と家族を与えてくださいました。そして神様を忘れかけていた私にたくさんの思い出をくださいました。それが教会でした。何よりも歩いて行ける距離に佐々木さんが毎週礼拝されていた教会があったことは、私の救いでした。礼拝に出席することは私にとって慰められる大切な時間になりました。一週間に一度、家を離れ、神様の前に立つ平安な時でした。同じ信仰の友と語り合うと力が出て、心が静かになりました。

     1986年、私が住むジョタカの地に高座教会より石塚牧師一家が来るようになりました。3人の子どもたちに幼児洗礼を授けていただきました。

     しばらくして私は夫の母にまだ幼い3人の子どもを預けて日本に家政婦として働き始めました。家計が苦しかったからです。子供と別れることは辛かったです。1992年のことでした。そして1993年、夫輝雄は病気になりました。肺がんでした。すぐ夫は治療のために、と兄が夫を連れて日本に来ました。夫の病は日本での医療でも手がつけられない状態でした。私が家政婦として働いていた医者の紹介で大学病院に転院し、入院治療を受けましたが、残念ながら召されました。でも高座教会で、石塚牧師の司式で長男の陽一がブラジルから来てくれ、親しい友人たちと葬儀をすることができました。神様の導きでした。

     思えばジョタカの生活は9年でした。1992年〜2009年まで東京世田谷の家政婦協会で家政婦として働き、家族の生活費、教育費のため、休むことなく毎日働き続けました。その間、神様は私だけでなく、ブラジルにいる家族を守り導き続けてくださいました。振り返ると私は不思議な出会いをいくつも経験しました。ある時、「世田谷の沖スミさんの所へ行ってください」、と家政婦協会から依頼がありました。その家に行くと家族の写真が飾ってありました。なんとその写真の中に石塚牧師が写っていました。沖スミさんはなんと石塚牧師のお祖母様だったのでした。

     次の仕事は安藤さんの家でした。そこはなんと石塚牧師夫妻のいる高座教会の近くでした。安藤さんは高座教会員でした。4年間お世話をさせていただきました。その時は幸いに高座教会の礼拝に出席することが出来ました。また安藤さんの介護者として祈り会にも出席することができました。その時ご一緒だった方と昨日電話でお話することもできました。

     話せばまだまだ続くのですが、振り返ってみると、不思議な神様の導きの連続でした。長い間子どもたちと離れて暮らしていたので、たくさんの不安や心配がありました。子どもたちも一段落し、体もきつくなり2009年にブラジルに戻りました。この10年間、私の周りは目まぐるしく変わりましたが、今に到るまで神様は働き続け、守り続けてくださっています。

     今は子どもたち3人、陽一家族、さゆり、ゆかりに支えられて生活しています。教会には毎週行けませんが、インターネットで礼拝しています。これからも神様はわたしと家族を支えてくださる、と信じています。

     この場で言うのはおかしいかも知れませんが、子供たちにいつも助けてもらっています。感謝している、とその気持ちを伝えたい、と思います。特に今回さゆりとゆかりが私の先生や昔からの友だちに一緒に会ってくれて、神様、そして友だちに支えられていたかを知ってもらえたことは本当に嬉しかったです。すばらしい子どもたちを与えてくださった神様に感謝しています。
    今日こうしてお話する機会が与えられ、ありがとうございました。

     桑野まり子

     彼女を通して教えられたこと、それは私の自覚的、主体的告白以上に、神が家族の救いを望み、導いてくださっている、ということだった。ヨシュアも「だから」(14節)と言って先人たちの歩みを導かれた神に目を向け、既に信仰に主体的決断を勧めた。信仰継承は信仰を伝えることではない。それは神の業だ。今、私にできることは何か。それは家族、隣り人に自らが「神を信じて生きる私である」ことを示すこと、神を信じて日毎に生きていくことではないか。