カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 何も持たない旅

    2020年2月23日
    列王記上17:1~7、ルカ9:1~6
    国立のぞみ教会 唐澤健太 牧師

     主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたり語られた派遣の言葉は驚くべきものだ。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(3節)。外敵から身を守り、疲れた時の支えとなる杖も、旅先のあらゆる事態に備えて品々を入れる袋も旅の必需品だ。さらにパンも、金も持っていくなと主イエスは弟子たちに命じられた。

     2010年に一ヶ月間海外で生活する時があった。その準備をしながら、あれもこれもと必要な物をトランクに詰め込んだら大荷物になってしまった。私の荷物の量は旅に対する不安そのものであった。

     「旅には何も持って行ってはならない」。主イエスが宣教の旅に弟子たちを送り出すにあたり命じられたことは、無謀な旅を強いる言葉ではなく、不安を抱えて出かける必要ない、ということではないか。「何も持って行かなくても、旅先ですべては満たされる」必要なとき、必要なものを神様はちゃんと備えてくださる。与えてくださる。だから心配せずに出かけなさいということだ。
    弟子たちは何も持っていくなと命じられている。しかし、弟子たちは初めに主イエスから「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」(1節)を授かっている。イエス様は弟子たちにただ何も持っていくなと命令しているのではなく、すでにその旅に必要な「力と権能」を弟子たちに与えてくださっているのだ。

     「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう」(使徒3:6)。ペトロが語った有名な言葉だ。日本の多くの教会は、「わたしたちには金や銀はない」という言葉に力強く「アーメン」というだろう。東小金井教会もきっとそうだろう。しかし、「持っているものがある」とペトロは続けた。弟子たちには金はないが「持っているものがあるのだ」。そのことにも力強くアーメンと言えなければならない。

     主イエスが授けてくださった「権能と力」を忘れる時に、私たちは、自分たちの杖や袋、パンやお金がどれほどあるかに心を奪われ、不安でいっぱいになってしまう。教会の宣教はここを忘れてはならない。私たちはついつい「不安」に支配されて、持つ事ばかりに気持ちが向かってしまう。杖や袋を持ち、不安に備えようとする。しかし、それは自分のみを頼りにするあり方であり、神を信頼しないあり方そのものなのだ。教会の働きは、自分の杖、自分の袋で行うのではない。どこまでも神の力によって行うのだ。

     それにしても教会はものすごいことを主に委ねられているのだと思う。主イエスは「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった」とある。「あらゆる」である。教会はあらゆる悪霊との対決が委ねられているということだ。換言すれば、教会はこの世界のありとあらゆる領域に対して責任を持つようにと主に命じられているということだ。弟子たちが遣わされる世界は、領主ヘロデが自分の地位や利権を守るために力と権能を振るう社会だった。命を奪うことに力を振るう支配者の中に、弟子たちは「神の国を宣べ伝え、病人をいやすために」遣わされたのだ。

     私たちカンバーランドの信仰告白も6・32「神は教会に和解の使信と務めを託されている。教会は全体として、また個々の人々を通してすべての人々、すべての階層、すべての人種、すべての国々との間に、和解と、愛と、正義が拡大されることを求める」と告白している。すべての領域に、和解と愛と正義が広がること、それはまさに「神の国を宣べ伝える」と言い換えてもよい。和解と愛と正義がなるというのが、私たちがこの地になるように祈り求めている神の国であり、宣べ伝えるべき神の国だ。

     悪霊とは決して非現実的な力ではない。人間を神の御心から引き離し、神が愛し、創造された人間を軽んじ、その命を軽んじる具体的な力が悪霊だ。

     少し前に、神学校の卒業生研修会に参加し、福島県いわき市を訪ねた。6号線で帰宅困難区域にも足を踏み入れた。「不都合な真実」が目の前に広がっていた。会津におられる講師の片岡輝美さんや福島に住んでいるパネラーたちの涙ながらの言葉にこの国は、一人のいのちよりもお金を大事にしているかを改めて知らされた。

     いま拡大している新型ウィルスへの対応にも「利権」が絡んでいるという話さえ耳にする。
     この希望を見いだすことが困難に思える状況で「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった」という主の委託は、私たちにとって何という励ましであろうか。 

     「あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける」(詩編23:4)。わたしを力づけるのは、私の杖ではない。私たちがこの世から借りる杖を手放す時、主ご自身が私たちの杖となってくださる。ここに私たちの希望がある。

     私たちは色々なものを持っている。自分の杖を握っているかもしれない。私が大きなトランクを抱えて身動きが取れなくなっているように、不安でいっぱいになっていることがあるかもしれない。でも、イエス様は「何も持たないででかけていきなさい」と今日、私たちは遣わされるの。恐れずに、身軽に、何も持たずにしなやかにでかけていこう!