カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 命の言葉にふれて

    2020年3月8日
    ヨシュア記24:14~18、ヨハネによる福音書6:60~71
    関 伸子牧師

     ヨハネによる福音書第6章の初めを読むと、主イエスはティベリウスで5つのパンと2匹の魚を分け与えて大群衆を養われた後、カフェルナウムに行かれ、そこで群衆は再びイエスを発見する。イエスは群衆に「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」とすすめる。その後、ユダヤ人たちと対話をして、48節で「わたしは命のパンである」、主イエスご自身がそれであると再び言われる。51節では「わたしが与えるパンとは、世を活かすためのわたしの肉である」と、これまで述べてこられた命のパンの話をされ、57節では「わたしを食べる者もわたしによって生きる」と語られた。イエスが命をもたらす方であることがしるしを通して展開されている。

     主イエスはご自分がしていることをよく知っておられる。その主イエスの言われること、たとえば、「わたしは天から降って来たパンである」といった、わたしたちが口にすることがないような言葉の数々を聴いて、わたしたちは主イエスが言われることの意味をすぐに理解するだろうか。

     今日わたしたちが読む第6章60節で弟子たちは、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」、と弟子たちがつぶやいている。ある訳は「自分の肉を食えとは、これはひどい言葉だ」と主イエスがご自分の肉を食べるようにと言われたと補っている。それは、51節後半から58節に記されているパンとぶどう酒という聖餐を具体的な内容とした議論を指す。イエスが「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と主張されたことが引き金となったのである。イエスが命のパンであるという議論を指す。

     62節には「それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……」と文章が完結しない形で記される。この「上る」という言葉は、後にイエスが十字架に挙げられる、また天に挙げられる、あるいは死人のうちより上げられるという言葉と重なる。イエスが命のパンであると認めることができない者たちにとって、十字架、復活、昇天といったことを認め得ないのである。

     主イエスがご自分のことを天から下って来たパンであり、人々に永遠の命を与える肉や血であると語ったことに対して、ユダヤ人たちが不平を漏らし、お互いに論争し合ったように、イエスの弟子たちも「実にひどい話だ」とつぶやいて、このために、弟子たちの多くが離れ去り、「もはやイエスと共に歩まなくなった」のである。弟子たちはなぜイエスの言葉をひどいと感じたのだろう。確かに、人の子の肉を食べ、その血を飲むという表現は、その真意を読み取らなければ、聞くに耐えないものである。

     弟子たちはこの時、主イエスにおいて神の言葉が肉となって、神の栄光に輝いていることにまだ気づいていない。ヨハネ福音書は第1章14節に「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」と記す。肉から生まれて来たわたしたちは、新たに霊からも生まれる必要があるのである。主イエスはこのことを第3章においてニコデモに語った。

     「命を与えるのは“霊”であり、肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と63節でイエスが言っておられるように、「肉」、つまり人間のレベルによってではなく「命をもたらす霊」のレベル、つまり、「信仰」のレベルで受け取るべきものなのだろう。

     主イエスを師として選択し、イエスに従うためには、古い自分から脱皮して、上からの呼びかけに応じる覚悟が必要である。ペトロが「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と信仰告白して、この覚悟を表明した。

     しかし、ヨシュアが民の選択の確かさを何度も確認したように、この覚悟も時には崩れることがある。それを知るイエスは、ご自分で選んだ12人のなかに悪魔がいると指摘する。選んだ方に従い続ける覚悟は常に新たにされなければならないのである。肉から生まれたわたしたちは、新たに霊からも生まれる必要がある。

     先週から読み始めたスーザン・フィリップスという米国の社会学、キリスト教神学の教授が書いた『修養する生活』という題の翻訳本で著者は、サーカス的に忙しい毎日の中で日々の生活で見失ってしまったいのちなる主はどこにおられるのか、主との関係を取り戻す方法はないものか、と現代の人々は問うと書いてあった。

     新型コロナウィルス感染拡大のニュースばかり流れる今、わたしたちは、霊の言葉に導かれるためにどうしたらよいのか。聖書を読み、祈るという神との時間を毎日とることを大切にする。植物が少しずつ成長するように、神の御心によって導かれる。霊である主イエスの言葉がわたしたちに永遠の命を与えてくれる。主イエスの霊を受け入れ、わたしたちの内に聖なる場所を作っていただきたい。