カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 恐れない自由

    2020年10月25日
    箴言8:1、22~31、マタイ10:26~33
    関 伸子牧師

     今日は降誕前第9主日、聖書はマタイによる福音書に入ります。この福音書の第10章は弟子たちに向けられています。主イエスは弟子たちを宣教のために派遣し、「人々を恐れてはならない。覆われているもので現わされないものはない」(26節)と語られます。

     26節は、「それだから」という、新共同訳では訳出されていない句によって、24節から25節と関連づけがなされ、「それだから人々を恐れてはならない」と主は言われる。弟子は師以上のものではない。それゆえ、弟子たちは師であるイエス以上の苦しみに遭うことは決してない。人々はイエスを「ベルゼブル(悪霊のかしら)」と呼んだ。だから弟子たちも何と呼ばれるか分かったものではない。しかし、弟子たち、わたしたちは決して人々を恐れてはならない。そう言い切ることができるのは、覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからです。

     さらに、28節、31節の「恐れるな」は、「恐れているのをやめなさい」という意味の命令表現で書かれています。弟子は体を殺すことのできる者を今、恐れているが、それはおかしい。彼らは確かに体を殺せるが、魂を殺すことはできない。人の魂は神のみが与え、取ることのできるものであり、イエスのためにこの世で魂が危険にさらされるような場合でも、神が一層その魂を強く守る。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの神の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(29~31節)。雀と髪の毛、それは本当に小さなものです。しかし、神が雀を守るなら、まして弟子は神の保護から外れることなどありえません。そういうわたしたちをイエスは仲間であると言い表す。

     だから未来の恐れも現在の恐れも、弟子は恐れるには足らず、また恐れてはならない。弟子が行うべきことは、「明るみで言い、屋根の上で言い広める」(27節)ということです。物事は明るみで言われなくてはならない。「恐れるな」とイエスは繰り返す。暗闇で、すなわち弟子に個人的に語ったことを、弟子は光の中で人々に今、宣べ始めなければなりません。このような励ましの後に、苦難の中で主イエスへの信仰を告白し続ける者のみが、最後の審判において主イエスのとりなしをうけることができると宣言される。信仰生活は神のとの人格的な交わりの生活である。交わりは呼びかけと応答による。恵みの主に対する真実な応答なしには恵みはもはや恵みではないことが示されている。

     御言葉は暗い片隅に隠れている私たちの恐れや不実を照らし出す光です。マーティン・ルーサー・キング牧師はアメリカ合衆国の黒人公民権運動のリーダーでしたが、最初の大きな運動はバス・ボイコット運動でした。その運動を始めた日から、キング牧師は脅迫の電話や脅迫状を受け取るようになります。ある脅迫電話によって恐怖心が一挙に押し寄せてきた。脅しにはもう慣れているはずだったのにその夜は眠れなかった。うまく表部隊から身を引く方法を考えようとしていた時に、何者かが話しかけるのを聞く。「お前は今、父親に電話してはならない。母親に電話してもならない。お前はただかつてお前の父が語ってくれたおの方に語り掛けなければならない。道なき所に満ちをお造りになるその方の力に語りかけるのだ」。キング牧師は温めていたコーヒーカップには手も触れず、テーブルに突っ伏して祈った。「主よ、私はここで正しいことをしようとしています。私はここで正しいと信じることのために立ち上がっているのです。しかし主よ、私は告白しなければなりません。私は弱いのです。私は倒れそうです。勇気を失いそうです・・・・・・」。その時キング牧師は内なる声の静かな励ましを聞き取る。キング牧師はその時のことをこう述べています。「私は閃光の輝きを見た。雷鳴の轟きを聞いた。私は罪の大波が私の魂を征服せんと突進してくるのを感じた。だが私は戦い抜けと呼びかけているイエスのみ声をも聴いた。彼は私を決して一人にはしないと約束してくださった。そしてその瞬間、私はそれまで一度も経験したことのない神のご臨在を経験した。と同時に私の恐怖心が消えた。何事にも立ち向かっていける心になっていた」。

     パウロは「もし神がわたしたちの見方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31)と言っている。そして、神の愛、キリストの愛が、あらゆる苦難や迫害に打ち勝たせる最大の原動力であると語る。この確信によって、代々のキリスト者は迫害にも負けずに信仰を告白し、宣教のわざに励んだのである。わたしたちは、イエス・キリストのみを自分の主として仰ぎ、言い表す勇気を与えられ、あらゆる恐れに打ち勝つ力をいただきたいと願います。お祈りいたします。