カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 赦し合うために

    2021年9月12日
    詩編15:1~5、ヤコブの手紙2:8~13
    関 伸子牧師

     「聖書に従って、『隣人を自分のように愛しなさい』という最も貴い律法を実行しているのなら、それは結構なことです」とヤコブの手紙第2章8節は記す。「あなたは、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という律法は、レビ記第19章18節からの引用であり、このレビ記第19章では、かつてイスラエルの民がエジプトで寄留者であったことに言及され、寄留者を同胞の者と同様に愛することが命じられている。また、主イエス御自身も、神に対する愛と共にこの隣人愛を最も強調された。「あなた自身のように愛しなさい」とは、あたかも隣人を自分の体の一部であるかのように思い、体の中にある心と魂と考えをその隣人と一つにして、その人を愛することを意味する。特に、ヤコブがこの隣人愛を説く時、「貧しい人々」に対して、「外見で判断」しない接し方の重要性を念頭に置いているのでしょう。

     アブラハム・リンカーンは、「神はこんなにたくさん普通の人を造られたのだから、普通の人を愛しているに違いない」と言った。少し上から目線のようにも聞こえるかもしれませんけれども、キリスト者は貧しい人々に絶えず特別なメッセージをもたらしてきた。ナザレの会堂における最初の説教で、主イエスは「主の霊が私に望んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために 主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは 捕らえられている人に解放を 目の見えない人に視力の回復を告げ 打ちひしがれている人を自由にし 主の恵みの時を告げるためである」(ルカ4:18,19)と語られた。

     山上の説教の第一の祝福は、「心の貧しい人々は幸いである」(マタイ5:3)という約束である。パウロはコリントの人々に「きょうだいたち、あなたがたが召されたときのことを考えてみなさい。世の知恵ある者は多くはなく、有力な者や家柄のよい者も多くはいませんでした。ところが、神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、弱い者を選ばれたのです」(コリント一1:26、27)と書いた。選びは神の恵みである。神は、この世が無価値と見なした人に福音をもって召し、神の御国の相続者としたのである。

     先ほど詩編第15編をお読みしました。3節から5節「舌で人を傷つけず 友に災いをもたらさず 隣人をそしることもない。彼は主の目にさげすまれる者を退け 主を恐れる者を尊ぶ。不利益な誓いでも翻しはしない。利息を取って金を貸さず 賄賂を撮って罪なき人を苦しめない。これを行う人はとこしえに揺らぐことがない」。この内容を一括すれば、それは隣人愛の実践者であると言ってよいでしょう。なによりも、神の前に出る者は「主よ、主よ」と呼ぶだけでなく、律法の実践者でなければならない、という明確な指針がここに宿されています。

     貧しいきょうだいに対する冷たい態度が、隣人愛の戒めに違反をすることになるという主張は、隣人愛を、貧しい人への「憐れみ」ある態度の中に見るユダヤ教的背景から理解できる。有名な「善きサマリア人のたとえ」(ルカ10:30以下)においても、隣人愛は、強盗に襲われて瀕死の重傷を負った人を「憐れに思う」気持ちとして示されている。

     主イエスは「だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる」(マタイ5:19)と言われた。ヤコブの意図もこれに近いと言えよう。ユダヤ教と似ていながら、新約聖書をそれと区別させるものは、律法の完成者であるイエスを中心としての視点に他ならない。

     キリスト者は自由の律法のもとで生活している。12節「自由をもたらす律法」とは、直訳すれば「自由の律法」であって古い律法と対照される。罪人に真の自由と命を得させる命令であり、それは主イエスに対する信仰によって救われるという信仰である。

     マザー・テレサは「愛の反対は無関心である」と語ったが、どのような隣人をもないがしろにしないこと、出会っている隣人と誠実に向き合って、共に生きていこうとすることの中に愛することの実践がある。「愛の律法」はキリスト者と教会が神から与えられている新しい生の規範である。それゆえに、教会は自らを律するとともに、確信をもってそのメッセージを広く世界に向かって語る使命を与えられている。私たちはキリストの使者としてこの世に遣わされ、そこで出会う隣人と共に生き、愛の奉仕に励むことを喜びとしたい。祈ります。