カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神に与えられた喜びの歌

    2021年12月19日
    詩編:113:1~9、ルカ1:39~56
    関 伸子牧師

     今年のクリスマスもコロナ禍が続き、落ち着かない生活をしている私たちですけれども、この時に神の愛が注がれ、今も神の秘められた計画は人間の知恵を超えてい現わされることを思います。しかし、そのことは直ぐには理解できません。天使ガブリエルの「おめでとう、恵まれた方」という挨拶に戸惑ったマリアに対して、天使が「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。」と説き聞かせても、マリアは「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに」と答えます。

     しかし、天使がさらに「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神にできないことは何一つない」と説き及んだとき、「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように」と答え、神の救いの業への参入を承諾しています。マリアの心を戸惑いから承諾へと変えた力がどこにあるのかはなぞです。しかし、「神にできないことは何一つない」と説く天使の言葉に心を向けるとき、受諾への道が開かれます。

     こうして神の救いの計画はクライマックスを迎えます。天使ガブリエルは、マリアに「身ごもって、男の子を産む」と知らせた後、マリアは、メシアの到来を準備させる男の子を身ごもっている親類のエリサベトを訪ねるために、ユダの町へと急ぎます。マリアの挨拶を聞いた時、エリサベトの胎内の子が喜び躍り、エリサベトが聖霊に満たされるという変化が起こります。

     マリアはエリサベトの祝福に答えて、主をたたえてうたいます。46節以下は「マリアの賛歌(マグニフィカット)」です。47節から50節では「救い主である神」と「私」との関係を歌います。マリア自身の経験から、神の「慈しみ」は「代々限りなく」、「主を畏れる者に」及ぶと結論づけています。続く51節から55節、ここで「私」というマリア個人から離れ、すべての人に当てはまる一般的な真理として、一層具体的に描写されます。神は「とこしえ」に「慈しみ」を忘れることなく、「その僕イスラエル(=主を畏れる者)」を受け入れた、と結論づけています。

     神が登場することによって、今まで高いとされていた者が低く見られることになり、今まで低いとされていた者が高いと見られるようになります。神は人間の目には高いとされる者の脇を通り過ぎて、低いとされている者、取るに足りないとされている存在のもとにやって来ました。

     マグニフィカットの霊的な強さは、神の無償の愛のなかにあることを私たちに教えてくれます。一昨年、ある集いを通して旧約聖書学者の左近淑先生のクリスマスの説教を聞く機会がありました。詩編第113編と今日のルカ福音書の箇所を解き明かしていました。詩編第113編6節において、天におられる主なる神が「天にあっても地にあっても 低きに下って御覧になる方」とあり、「低く下って」という言葉は、昔の文語訳聖書で「己を卑しくして」となっていますし、「身をかがめて」とも翻訳されています。このことを左近先生はその説教の中で次のように語っておられます。

     すべての国を超え、天を超えて高い、高い、高いお方が、天の王座に君臨しておられるお方が、その高みから己を投げ捨てて、低く降る、とび下りる、ここには〈動き〉があります。〈すざましい〉動きがあります。愛は落ち着かないのです。破れはてるのです。愛というものは、自己保存のための武装ではない。・・・愛は傷つけられるということを恐れないのです。・・・聖書がクリスマスにどうしても伝えたいただ一つのことはこれです。高い、高い、高い、想像を絶する高い方が、そこにどっしりと落ち着かないで、己を投げ捨てて低く下って、天のひとり子としての栄光を示された。これです。ここにクリスマスの示す愛の価値があります。

     左近先生は、本質として愛は落ち着かない、愛は動くということを論じながら、「大きなところに、どっしりと落ち着かない」第一のお方として私たちの神をさししめしてくださったのです。ルカが指し示した神は、私たちのために大きく動きだされた神です。神が大きく動いて人となられました。神が人となられた「受肉」という出来事がクリスマスに起こったのです。これは普通に考えると、信じられないことです。しかし、神はそうまでして私たち人間に対するご自身の愛を示されました。神が大きく動いてくださったからこそ、私たちの救いが成就したのです。

     この後、洗礼式を行います。神さまが大きく動いてくださり、Kさんに愛を注いでくださいました。この私のために、この私たちのために、神が大きく動いてくださったことを知る時がクリスマスです。コロナ禍が続き、いつもと少し違ったクリスマスを過ごしていますけれども、神が大きく動いてくださった出来事を喜び、その喜びを多くの人たちと分かち合うことができれば幸いです。お祈りをいたします。