カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 平安への招き

    2022年6月12日
    申命記6:4~9、ローマの信徒への手紙8:12~17
    関 伸子牧師

     主イエスが、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたとき、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という天からの声を聞きました。それはイエスが「神の子」であることが世にあらわされた場面です。神の子であるイエスは、十字架を前にしたゲッセマネの園で祈られました。一緒に連れて来た3人の弟子たちは眠りこけてしまって、主は、ただ一人で、十字架の苦しみについて、父なる神への信頼に導かれながら祈っています。「アッバ、父よ」(マルコ14:36)と神に呼びかけて祈っています。「アッバ」というのは、当時の日常語のアラム語で「私の父」という呼びかけの言葉です。こう呼ぶことは、イエスと同じ神との関わりへと入ることです。

     パウロは、その「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊が、「神の子」とされたキリスト者の心に送られていると諭します(ガラテヤ4:6)。こうしてみると、アッバという言葉は、当時、みんな普通に用いていたのでしょう。ことに、教会では、信仰を言い表す時に、よく用いた言葉であったことが分かります。主のお言葉をまねたパウロのこの言葉に、深く感動したに違いありません。「アッバ、父よ」と呼ぶというのは、大声を挙げて叫ぶことです。ガラテヤの信徒への手紙では、心の中で叫ぶと言っています。公に、あるいは、ひそかに、アッバ、父よ、と信仰者はいくたび呼ぶことでしょう。

     そして、ローマの信徒への手紙第8章においては、さらにキリスト者に置かれている恵みを示していきます。「それで」という句をもって12節からの話がはじまります。信仰の話は、一つずつ積み重ねてゆくからでしょう。しかし、ここでは、もう少し重い意味があります。今までのことの結果として、ということです。

     もう一つ著しいことがあります。それは「きょうだいたち」という言葉です。キリストにある者として、霊の支配の下にある者は、全く同一の立場におかれているのです。続けて、その同じ立場に立つ者は、同じような責任を担うことになっていると語ります。

     14節から16節には「霊」が5回も登場します。人が神の霊に導かれるとき、神の子とされています。しかも、キリスト者が受けた霊は、まさに人を奴隷としての恐れに陥れるものではなく、「神の子とする」霊であり、この霊に包まれるとき、神の親しみを込めて「アッバ、父よ」と呼びかけることができます(15節)。したがって、キリスト者が神の「子ども(テクノン)」であることを証ししているのは霊自身なのです。このようにこの箇所は霊の働きをテーマとしています。

     一方、17節は「子ども(テクノン)であれば」と始めることによって、14~16節の主題を受け継ぎ、それを「相続人」という新しいテーマに発展させています。しかし、キリスト者はすでに神の子どもでありながら、その完全な完成はまだ先のことです。そこで、キリストが苦しんだように、キリスト者にも苦しみが襲うことになるのでしょうけれども、キリストと共に苦しむのですから、キリストと共に栄光を受けることになるのです。

     私たちはキリストと結ばれる霊によって神の子とされています。私たちには自分自身ではコントロールできない肉欲、いや、それにとどまらず、自分の思いを第一にしていき、他人をも支配しようという肉の心があります。パウロは、もはやそんな肉に対する義理はないと言います。私たちは神の子として神に対してだけ義理を感じて生きていたら良い、と言うのです。

     イエスに遡る「アッバ、父よ」という祈りの呼びかけに注目したいと思います。アラム語の父という表現であり、イエスと同じ神との関わりへと入ることです。この関わりは親密で、恐れを知らず、深い信頼に根差し、私たちを力づけてくれます。この関わりは聖霊と呼ばれ、イエスによって私たちに与えられました。私たちはこの聖霊によってイエスと共に「アッバ、父よ」と呼ぶことができます。

     神を「アッバ、父よ」と呼ぶことは、心の叫び、私たちの最も深いところから湧き上がる祈りです。それは、私たちの存在の根源は神であることを宣言することにかかわっています。これは突然のひらめきや、信念によるのではありません。神の子であることに真剣である時に、真実にあなたがたは生きる! 私たちの生活の、いろいろなことに行き当たるたびに、確信をもって、しかも、親しさを込めて、「アッバ、父よ」と呼び、神の子として立ち続けていきましょう。お祈りをします。