カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • キリストの道に立ち続けよう

    2022年8月14日
    申命記10:12~11:1、マルコ9:42~50
    潮田 健治牧師(泉伝道教会)

     「私を信じるこれらの小さな者」とはどういう人のことでしょうか。直前を見ると、弟子に従わないで、しかし教会のするようなことをしていた。弟子たちは、その人のすることをやめさせようとしたが、主イエスは、その人も私たちの味方だと、言われた。主はその人を「私を信じるこれらの小さな者」と言うのです。この小さな者をつまずかせるな、と。主イエスが考える教会の範囲と、弟子の考える教会の範囲に違いがあります。教会は、どこに、あるのでしょうか。

     たとえば子どもが入院すると、牧師に来てもらい、祈ってもらいたくても、場合によっては親だけしか入れないということもあります。その時に「さあ、神さまに祈ろうね」と言うのです。親は、子どもの牧師になって祈るのです。そこに、教会があるのです。そこに、主の言葉が実現するからです。

     たしかに、そこにいるのは、信仰の「小さい者」かもしれない。まだ教会員にもなっていない小ささ、かもしれません。やっと来たばかりの人かもしれない。言葉においても、わざや、生活そのものが、出来上がった人間から見たら、なってない、ということかもしれません。信仰者であっても、あれでもクリスチャン?と言われるような言葉や生活をしているかもしれない。でも、自分の生活の中でイエスは主と言い表している。祈りもしている。だったら、「私たちの味方」ではないか(そこに教会がある)と主は言われるのです。

     他方、弟子たちは、だれが偉いか、誰が中心なのか(組織とは云々)言い合っていました。また、そういう集団の考え方、規則に合わなければ、やめさせる、というのです。しかし主は、あなたに合わないからと言って、やめさせるな。その手が、そんなことをしたのなら、片方を切ってしまいなさい。あなたが、ゲヘナに捨てられるよりはいいだろう、と激しく、言われる。大事なのは主イエスの名をもって、イエスの目となり、イエスの口となり、イエスの手となり、イエスの足となることだったのです。

     私たちは、いつの間にか自分を立てること、自分を守ること、人を自分たちの考え方に従わせること・・・に関心が向いていないか。そこで、主は弟子たち、教会に向かって、むしろ、あなたがたは「自分自身の内に塩を持ちなさい。」主イエスの十字架によって与えられた命に生きるのだ、と言うのです。人を引き倒すのではない。小さな者の一人を福音によって生かす、命の道に生きよ、と。