カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 良い社員ランキング

    2023年10月22日
    詩編78:1~8、ルカによる福音書19:11~27
    篠﨑 千穂子_伝道師(めぐみ教会)

     神学校に入学したばかりのとき、教師から、「たとえ話は難しい話を分かりやすく書いてある話ではありません。」と聞いたことがありました。このムナのたとえ話も、ちっとも分かりやすくはありません。私は子どもの頃、このムナのたとえ話を聞いたとき、「預金利息の素晴らしさを教えるたとえだ」と真剣に勘違いをしたことがあります。当たり前ですが、このたとえ話はそういうことをいいたいたとえ話ではありません。では、イエス様はムナのたとえを通して、当時の人々そして現代を生きる私たちに何を伝えようとされたのでしょうか。
     ところで、この1ムナのしもべは低く評価されがちです。けれども、正直私にはこの1ムナのしもべはそれほど問題のある人には思えません。20節のしもべの言葉は言い換えれば、「私はあなたが怖かった。だから怒られるようなことをしたくなかった。」ということになるでしょうか。どうやら、このしもべにとって主人は相当恐ろしい存在だったようです。その思いは当たり前に思えるのです。
     1ムナとは現在の日本円に換算すると約130万円ほどの価値を持つお金です。もし皆さんが会社で同僚10人を集められ、それぞれに130万円を渡されて「これで商売をしなさい。」と言われたら、どう思われるでしょうか。もし私だったら、多分「試されているんだな。」と感じると思います。試されて、比較されて、誰かを上げて誰かを切り捨てるためにそういうことをするんだろう…言ってみれば、「良い社員ランキング」を作るためにそういうことをするんだろうなと想定をします。そしてもしそんなランキングに巻き込まれそうになったら、私もこの1ムナのしもべと同じように、「何もしないで130万円を手元に置いておく」ことを選ぶように思うのです。自分のことをランク付けしようとしている人のことなんて信用できないからです。うっかり借金でも作ったら何をされるかわかりません。怖くて、どうにかして自分を守るには、とにかくリスクを避けるために130万円を手元に保管しておくことにする…私はその気持ち、なんだか分かるような気がします。

     ただ、このたとえ話は、主人…すなわち神様のことを、「神様は私たちをランク付けする方です。そうやって、誰かを上げて誰かを切り捨てる神様なのです」…そういうことをいいたい箇所ではないはずです。では、このたとえ話から私たちはどんな神様の姿を見て取ることができるでしょうか。その鍵は、このたとえ話がどういうシチュエーションで語られたかというところにあります。
     このたとえ話は、徴税人ザアカイの物語のあとに語られています。ザアカイとは徴税人のリーダーだった人です。ローマ帝国への税を徴税する徴税人は同胞たちから裏切り者として大変軽蔑されていました。そういうザアカイのところへ救い主と期待をされたイエス様が「今日、救いがこの家に訪れた。」(ルカ19:9)と言われたことは、人々を大変ざわつかせたはずです。裏切り者に救いをもたらす救い主だなんて、常識外れも甚だしかったからです。けれども、この常識はずれな方が、本物の救い主だったのです。
     
     そしてこの常識はずれな救いを示したうえで、イエス様はムナのたとえ話をするのです。たった130万円しか元手を渡さずに、「これで商売をしなさい」という主人はとっても常識外れです。たった130万円を元手に実際に商売を始めた5ムナと10ムナのしもべもまた常識はずれです。このたとえの中で最も常識的なのは、実はこの1ムナのしもべなのです。130万円で冒険をしない。良い社員ランキングをつくるかのように、自分を試すように見える主人を信用しない。主人から預けられたお金を過不足なく返せるように、そのまましまっておく。それは私たちが生きる社会において大変常識的な判断です。ただ、神の国では私たちの常識ではなく、神のなさる非常識が優先されます。神の国では、最も神から遠く思われた人が一生懸命探し出されるのです。神の国では、神から見放されたと自覚している人にさえ、神の御手が伸ばされるのです。常識的な判断では切り捨てられる人が、決して諦められることがない世界、それが神の国です。このたとえ話は、神の国の在り方を示している物語です。

     神様は私たちにいろいろなものを与えてくださっています。
    でも私たちは自分に与えられているものを見て、時々思ってしまうのではないでしょうか。「なんだ、これっぽっちか。わたしの持っているものなんて、大したことないな。」そんな思いは、どんどんとエスカレートしていって、私たちは簡単に神様が下さるもので神様の御思いを判断しがちです。
     けれども、神様は先ほど申し上げた通り常識はずれな方なのです。
     常識はずれな神様は、常識はずれな「たったこれっぽっち」を豊かに用いて、その手柄をしもべたち…すなわち人間に還元してくださる方です。
     主人である神様は、ただ、神様のしようとすることを信頼してほしかった。自分に人生を賭けてほしかった。常識はずれなほどに人を愛した神様だから、人にも同じように自分を信頼してほしかっただけだったのではないでしょうか。
     私は、仮にこの1ムナのしもべが預けられた130万円で商売をしてみて、負債を作ったとしても、この主人は1ムナのしもべにこう言葉をかけたのではないかと思うのです。
    「よくやった、良いしもべだ。お前はごく小さなことに忠実だったから、私の国を共に治めてくれ。」
     そしてこの言葉を、神様は私たちにもかけてくださる。神様に人生を賭けたときに、神様はそのことを評価して私たちを「良いしもべ」と呼んでくださる方です。「よくやった、良いしもべだ」そう言ってもらえる日を夢見つつ、私たちもまた主と共に日々を歩んで参りましょう。