神を呼ぶ祈り
2025年5月25日 列王記上18:20~39、マタイによる福音書6:1~15 関 伸子_牧師 今日の聖書箇所を読む私たちには、私たちの行為が二種類に分けられることに気づかされます。偽善者のようにか、あるいは、主イエス・キリストを見つめて神に栄光を帰する行為か。「偽善者」は、マタイがこの語を用いる時には主としてファリサイ派、律法学者が頭にあります。ファリサイ派の人たちは、施しや祈りや断食などの善行をすることによって神に義と認められると考えていたので、それ[…続きを読む]
神への道を知る
2025年5月18日 サムエル記下41:17~27、ヨハネによる福音書14:1~11 関 伸子_牧師 ヨハネによる福音書第14章から17章は最後の晩餐の席で語られた主イエスの弟子たちへの告別説教です。この説教の前後に見落とせない表現があります。第13章30節の「夜であった」と第18章3節の「松明や灯や武器を手にしていた」です。この表現は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)にはなく、ヨハネだけが伝えています。ヨハネの意図がどこにあるかと言えば、告別説教が語ら[…続きを読む]
死を越えて生きる
2025年5月11日 ネヘミヤ2:1~18、ヨハネによる福音書11:17~27 関 伸子牧師 人生を考えるとき、わたしたちが避けて通れない最大の課題が死であると思います。この国では「死んだらおしまい」と言われて育つ人が多いのではないでしょうか。しかし、そのような人生観では決して承諾できない人々もいます。ヨハネによる福音書第11章は、そういう人々に語りかけ、訴えかける箇所です。 事の起こりは、イエスの友人ラザロの死でした。主イエスはベタニアに到着されまし[…続きを読む]
しるしより確かなこと
2025年5月4日 列王記上417:17~24、マタイによる福音書12:38~45 関 伸子_牧師 「先生、しるしを見せてください」。ユダヤ人は、しるし、すばらしい出来事、目をみはるような神の子としての証拠を求めます。救い主メシアが到来するときには、天にも地にも、驚くべきしるしがあると信じていたからです。パウロは、「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探します」(コリント一1:22)と言いました。もしある地上の根拠で信じているなら、それは信仰と[…続きを読む]
復活した主イエスにお会いして
2025年4月20日 イザヤ60:17-22、ヨハネ20:1-20 関 伸子_牧師 Happy Easter!週の初めの日の朝早く、マグダラのマリアは夜明け前に一人で墓に生きました。墓に向かったマリアは、墓から石が取りのけてあるのを見て、ペトロともう一人の弟子のところに走って行き、「誰かが主を墓から取り去りました。どこに置いたのか、わかりません」と告げます。それを聞いたペトロともう一人の弟子も墓に向かって走り、先に着いた弟子は中を覗きこんで、亜麻布が置い[…続きを読む]