カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 国際協力宣教:新天新地での諸国の民の栄光を目指して

    2017年8月27日
    詩87:1-7、ヨハネ黙21:22-26
    高座教会 柳沢美登里姉

     いつも、お祈りとご支援をありがとうございます。東小金井教会で初めて海外での活動を証ししてから27年。主がしてくださることをお伝えする機会を与えられ続け、心から感謝いたします。

     ここ数年、ヨハネ黙示録から「国際協力」について深める機会が与えられています。神様が万物を創造して始まった歴史で、地上のすべてのものをケアするという大切な使命を与えられた人間は神に反逆。アブラハムへの約束に始まり2千年前、イエス様の十字架と復活によって神様の側からの贖いが完成。贖われた世界の姿が表されるのを待つ時間を私たちは今、過ごしています。新天新地が来ると、都での人間の姿は26節「人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る」とあります。言葉や文化が違うすべての民が、それぞれの栄光を尊重しあい、神の前に共にいるのです。新天新地での民族同士のこの姿を模範に「国際協力」を目指す願いが起こされています。そのご報告です。

     昨年7月、バングラデシュで日本人を含む外国人が殺害されるテロが起きました。最大の衝撃は、私がバングラデシュ滞在時に生まれた若者たちが、過激派ISの考えに浸かってしまったことです。90年代、1日1回ご飯を食べるのが精一杯の貧しい人々を応援することが、神が造られた「いのちを貴ぶ」働きでした。それから27年。世界は変わりました。貧しかった国々では多くの人が十分、食事を取れるようになりました。けれども、世界はそこで停まりません。逆らえばいのちを奪う過激派が出現したのです。インターネットの最新技術を使い、不満を抱える世界の若者たちを取り込んでいます。2014年9月、動画で「イスラム国」の残虐さが知れ渡る1年前、神様は再び、バングラデシュに関わるように促されました。元同僚が校長になっていた、イエス様を信じた人々のための研修所の研修生を年に二人ずつ「声なき者の友」の輪で応援をし始めたのでした。

     イスラムの人には罪の自覚がありますが、赦されたかどうかの確信はありません。熱心な祈りと断食、施しをする自力の宗教です。クリスチャンが聖書を改ざんしたと言われるため、イスラムの聖典に記された「罪なきイエス」を紹介します。一方的な恵みのイエス様に出会った人々の顔つきが穏やかに変わることに、毎年、感動します。元同僚は、命を奪う過激派が躍進する時代に、命を生かすイエス様の弟子として若者たちが歩む支えの働きに関わっていました。現代のイエス様のお働きを感じます。テロが続発する時代に、神様が用意された現地の働き手と世界共通の課題に取り組む2010年代の国際協力宣教です。

     さて、私が「声なき者の友」の輪を始めた7年前、「世界の状況が大きく変わった」から、新しい一歩を踏み出すように押し出されたように思いました。その半年後、東日本大震災、福島での重大原発事故が起こったのです。世界中から援助の手が差し伸べられる中で、バングラデシュ時代の同労者、韓国の友人がカナダのバンクーバーの教会に働きかけ、福島を支える輪を作りました。彼女は「放射能汚染」という人類共通の課題に関わり続けるように主から思いを与えられたのです。そして、開拓を始めていた日本人牧師夫妻とつながりました。彼らは福島の人々や大地のために祈っていた2012年、農作業共同体というビジョンが与えられ、教会開拓と同時に郊外で「新しいエデン」という農作業活動を始めました。口コミで様々な国籍の人が参加し、5年目の昨年は25か国の出身者に広がっていました。魂が飢え渇いている現代世界の人々が求める共同体の姿を思わされます。福島訪問を共にして、聖書から、絶妙な成分からなる表層の土を恵みとして与えてくださった神を共同体として一緒に思いめぐらすことができると伝えてくれました。放射能汚染の脅威や地球温暖化が深刻になる時代、土を与えてくださった主に感謝し、農作業で緑を育む。そこで分断された人々の関係修復を体験する。この出会いに、ヨハネ黙示録にある民族間の姿を目指す21世紀の「国際協力宣教」を思わされます。

     さて、私が「世界の顧みられない人々に仕えるように」と召命を与えられて30年。最初の訓練中、ある宣教師から「インドのスラムに行ってはどうか」と提案され、即座に断ったことがありました。私には我慢ならない差別のカースト制度があることを思い出したからです。3年後に遣わされたバングラデシュでは、身分制度はないはずなのに貧富の差で公然と差別する光景に出くわしました。「ここもインド文化ですね。」という訪問者のつぶやきから、「インドの一画に遣わされていた!」と気づかされました。神様は、差別される側の深い痛みと共に歩めるように私を整えられたのです。
     
     「声なき者の友」の輪として、底辺のダリット出身で、イエス様の教えに基づいて人と社会が「神の国」の姿に近づく活動に立ち上がった方たちと協力を始めました。屈辱を受けた当人たちがイエス様に出会って変革の主体になる神のときがやってきたのです。20年前は神様のときではなかったのでしょう。ダリット出身の人々が語ることが痛いほどよく判るようになりました。人生は、神様が用意される何かのための訓練の連続なのだと思います。

     今年、13億4千万人のインド社会の地殻変動が鮮明になっています。ダリット出身の同労者は、共に活動した6年を含め、聖書の視点から人生と社会を総括して次のステップを論文にまとめています。来年初めに訪問し、差別されてきた人々が平和と和解のイエス様の使者となる次の段階の活動協力について話しあう予定です。

     「人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。」私たちは、その途上を生きています。イエスに従う人々から始まる、痛みを抱えたお互いを支えあう民族同士の姿に、日本でも世界でも、人々は「ここに神がおられる」と神のご臨在を感じるのではないでしょうか。新天新地のときのみ言葉と約束された方に信頼して、21世紀の「国際協力宣教」に関わりたいと思います。皆さまと共に、神様が導き、回復されようとする世界に関われる幸いを、心から感謝いたします。