ただひとりの神によって
2020年11月1日
イザヤ書44:6~17、ローマ3:21~31
関 伸子牧師
召されて使徒となったパウロは、ローマの信徒への手紙の第1章18節から第3章20節において、律法の下にある人間の絶望的な状態を明らかにしました。人類の罪を指摘しています。異邦人は被造物を通して、またユダヤ人は律法を通して神を知っていますが、結局は神としてあがめずに、罪の状況に陥っていたからです。こういう律法の世界を語りながら、ローマの信徒への手紙の大事な頂点、分水嶺と言える第3章1節に達するのです。第3章に至って、ユダヤ人のすぐれている点は何か、とパウロはまず問います。ユダヤ人のすぐれた点は、第一に神の言葉がゆだねられていることです。それは神からの信任、信頼を受けたことであり、そこにユダヤ人の誇りがあると言っています。
パウロは「彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか」(3:3)と言う。人間の不真実と神の真実のどちらが大きいか。たとえば友人関係でも、一方が友人に真実を尽くしても、相手が不真実で裏切ってばかりいると、もうこの人の真実はなくなる。そのように神の真実は、人間の不真実によって消えてしまうようなものなのだろうか。「決してそうではない」(3:4)。律法によって人間は決して義とされることはなく、むしろ律法を守れば守るほど、罪の自覚が生まれてくる。ほんとうに律法を厳しく守ろうとするほど、私たちはいたたまれなくなる。こうして、第3章9節から20節では、「正しい者はいない。一人もいない」(10節)と結論づけています。
21節から始まる今日の箇所が「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」(21~22節)というように「ところが」で始まったのは、長く暗い罪の現実に圧倒され、閉じ込められていたローマの信徒への手紙の読者にとって、突然、夜が明けたような気がしたことでしょう。
神の義は律法の所有ではなく、イエス・キリストを信じる事によって信じる者すべてに与えられる。これを「イエス・キリストの真実によりすべての信仰者に」と聖書教会共同訳は訳す。ピスティス・クリストウと言う句は両義的で、「キリストへの信仰」、あるいは、「キリストの真実」と訳すことにしたと解説されている。この訳だと、救いが神のわざであり、神がアブラハムへの約束を守る正しい方であることが浮き彫りになってくる。
パウロは続けて言います。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、ご自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです」(23~25節)。
罰を覚悟しているのに、罪を赦して、救いを与えたというのですから、信じがたいことです。しかし、パウロは「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」と続けていますから、神へのお詫びのしるしなら、キリストの血によってささげられているのであって、すべての人が無償で許されているというのです。
信仰とは何か。信仰とは、イエス・キリストによって示された神の愛を信じ、神の御手に自分のすべてを委ねることである。常に神の愛が先行してあり、わたしたちはその愛に突き動かされているだけなのである。それゆえ、誰も信仰を誇ることはできない。
「偶像を形づくる者は皆、無力で 彼らが慕うものも訳に立たない。彼ら自身が証人だ。見ることも、知ることもなく、恥を受ける」(イザヤ44:9)。人間とは限りなく偶像を生産しつづける生き物であると、確か、マルティン・ルーターは語った。しかし、それよいずっと前に、イザヤも同じことを語っている。同じ一本の木から、一方ではそれを燃やして暖をとり、煮炊きするために利用し、他方ではそれで偶像を彫りそれを拝む。自分の体を温めるために、自分の腹を満たすために、そして自分の願望や欲求を実現するために、一本の木を利用する人間。それは、自分のためには神すらも造り出す人間の姿である。私たちの信仰はつねに堕落する可能性を含んでいる。しかしまたそのような事実を直視する中で、私たちは神の恵みが照り輝くという信仰をも見いだすのである。
私たちが義とされるのは、神から与えられるものであり、どんな罪人であろうと、どんな過去を持っていようと、すべて信じる者、イエス・キリストに依り頼んでいく者には、贖いの十字架の力が及んでいるのである。どんな人も、神の前に罪ゆるされて義とされた。そこに福音の大きな喜びがある。そこに私たちの信仰は成り立つ。お祈りをいたします。