カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • 私たちに関わる神の計画

    2020年12月27日
    イザヤ書60:1~6、エフェソの信徒への手紙3:1~13
    関 伸子牧師

     先週の日曜日、みなさまとクリスマス礼拝をささげ、今年最後の礼拝をささげています。この年、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、恐さや不安でいっぱいになることが多かった私たちですけれども、混沌とした世にイエスさまのご降誕を喜び祝う礼拝をささげ、心の闇に光がともされました。

     今もなお「闇」と「暗黒」が地上全体を覆っていますが、「あなたの上には主が輝き出る」時が到来しようとしている。預言者イザヤにとってそれは確実な出来事なので、イザヤ書第60章1節後半において「あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」と、どちらの動詞も完了形で語ります。この確信に基づいて、「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」と呼びかけます。私たちに主の言葉をもたらす光は、「地を覆う闇」(2節)を撤退させる。あらゆる民族がこの光のもとに集まって来る(3節)。主イエスがお生まれになったことにより、「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:5)ことが明らかになる。この事実が私たちに新しい希望をもたらすのである。

     今日、新約聖書はエフェソの手紙第3章を読みました。この手紙の冒頭、第1章1節に「キリスト・イエスの使徒」と自己紹介をしたパウロは、第3章1節に「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった」と、現在の立場を述べています。この囚人ということばは、パウロにとっては二重の意味があります。第一は、キリスト・イエスにとらえられている者という意味であり、第二は、福音のために実際に入獄中だということです。

     パウロはかつて「この道を迫害し」(使徒22:4)、男であれ、女であれ、容赦なく捕らえて牢に投げ入れていました。その頃のパウロは、サウロというユダヤ名でよばれており、ファリサイ派の律法学者でユダヤの最高議会サンヘドリンの議員でもあるガマリエル(使徒5:34)の門下生でした。彼の律法と伝統に対する熱心さは、その師以上でした。過激な青年活動家として、サウロは教会弾圧の先頭に立っていた。彼は教会の最初の殉教者ステファノの処刑に加わり(使徒7:58)、それを契機として、ますます激しい弾圧をキリストの教会に加え、キリスト者を次々に投獄した(使徒8:1~3)。彼の迫害は国内ばかりでなく、国外にも拡張され、はるかシリアの首都ダマスコにまで追及の手を伸ばそうとした。

     しかし、その間も、神の御計画は着々と進行しており、ついにこの迫害者サウロが、迫害した当のイエス・キリストと出会う時がやってきました。サウロは、ダマスコ途上で復活の主イエスに出会い、その時キリスト・イエスにとらえられたのです(使徒9:3~9)。パウロはこの体験を繰り返し証ししています。パウロは神の御計画により、この時「異邦人に遣わす」(使徒22:21)との神の御声を聞き、「異邦人への使徒」(ガラテヤ2:8)に定められたのです。

     「秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました」(3節)とパウロは言います。この奥義は、キリスト以前には示されていなかった。イエスは「はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである」と言われました。その「見る」とは、イエス・キリストの十字架を、である。パウロが知らされた奥義とは、私たちの間には地上では差があるが、神の国を継ぐことにおいては一つになること、そしてイエスによってすべての人の罪がゆるされるということである。「わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである」(3:7)。パウロが福音の僕とされたのは、神から恵みを受けたからである。

     パウロは、「これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです」(11節)と語る。それまでに神が人々に恵みを与えた種々の出来事の頂点として、真の「命のパン」であるイエス・キリストをこの世に送ったことであり、このキリストにおいて永遠の命をこの世に差し出したことも示している。この永遠の命が「私たち」、つまりキリスト者たちに確実に与えられている。

     人にはさまざまな出会いがあります。しかし、復活のイエスとの出会いほど劇的な変化をもたらすものはありません。今も多くの人々が福音によって主イエスと出会い、使徒たちの仲間に加えられています。弱く小さい者であるがゆえに、恵みによる「力の賜物」にあずかり、キリストの測り知れない豊かさを、福音として宣べ伝えることができる、とパウロは言うのである。この恵みに感謝して、クリスマスの恵みに導かれて新しい年、キリストにある希望を持って歩みたいと思います。お祈りいたします。