カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 足りないパンを差し出して

    2021年7月18日
    サムエル記下7:22~24、ヨハネによる福音書6:1~15
    鈴木 淳牧師(日本中会教職者)

     ヨハネによる福音書第6章のこの箇所で、沢山の人達がイエス様の噂を聞いて、男女を合わせたら一万人以上の人たちが集まっていました。そこで、イエス様は、その沢山の人たちに食事を提供するという行為をもって、弟子たちに神の奥義に通じる道を教えるのです。
     一人の少年が持っていた五つのパンと二匹の魚。一万人の人たちが食べるには、あまりにも少量の食物。アンデレだけでなく誰もが「こんな量では、なんの役にもたたない」と思ったことでしょう。しかしイエス様は、そのパンと魚を取り上げ、祝福してみんなに分け与えるのです。すると全ての人が満腹して、更に12籠いっぱいにパンが余ったとあります。それは、人間の目には「なんの役にもたたない」と言われたものが、イエス様の祝福によっては、何百倍にもなって人々の役に立ったということです。この魚を持っていた少年は、この出来事に驚愕したことでしょう。
    私は、この箇所を読んで、改めて教えられました。私たちの人生は、ある意味、挫折と成功の連続の中にあります。自分の働きは、なんの意味があるのかという日々の問い。何かを達成したとしても、また次の目標を目指して進まねばならない。介護の仕事を日々していても本当にそう思います。その働きが、本当に高齢の利用者さんの役に立っているのか。困っている人は沢山いるのに、ほんの僅かしか手伝うことが出来ない。
     でもイエス様は、その何の役に立たたないような、ほんの僅かな献げものを用いてくださる方なのです。ほんの少ししか出来なかったけど、イエス様が祝福して、沢山の人に役だつ働きに変えてくださる。小さなゴミ一つを信仰をもって拾うことは、私たちクリスチャンにとっては、意味ある神へのご奉仕なのではないでしょうか。
    瀬底恵子姉のお母様の喜多川豊子姉が年をとって希望ヶ丘に住んでいた時のことです。恵子姉が「母は雄弁でなんでも出来る人だったけれども、今は高齢になり、全て神様に返してしまいました」との言葉をよく思い出します。沢山の賜物を授かった豊子姉は、その全てを神様に返して天国へと旅立っていく。私はこの出来事を通して、信じて生きるとは神様から沢山のものを頂くと共に、頂いたものをまた一つ一つ神様に返して行くことかもしれないと思いました。そして、最後の一つを神様に差し出した時に、私たちは天に迎えられる時が来るのではないでしょうか。
     人の目から見れば、何の役にもたたない私たちの働きです。しかしそれを、思い切ってイエス様に献げる大切さ。その献げた成果は、明日見えるかもしれないし、いや千年後に花咲くかもしれない。しかしその一つ一つは、決して無駄にならない神の働きへと変えられて行くのです。その献げる信仰の歩みを続けたものには、来るべき天国では、一万人の人たちが食べてもまた余るほどの祝福が待っていることでしょう。みんなで、最後まで、信じる道を歩みと通したいと思います。