ボーダーラインで出会う救い主
2021年10月3日
創世記28:10から19a、ルカ17:11-19
あさひ教会代務者 荒瀬牧彦牧師
エルサレムへと上って行く途中、イエス様はサマリアとガリラヤの「間」を通っておられました。この「間」は小金井と三鷹の市境とは異なり、反目と憎しみの歴史を抱えた、深い断絶のボーダーでした。ラインというよりはボーダーというべき境界領域であり、直接衝突を避けるための緩衝地帯でした。そこには誰がいるのか?社会から隅に追いやられた人たちです。力のある人たちは中心に陣取り、弱い人たちが外に押し出されていくからです。「間」には、両側から隅っこに追いやられた人たちが肩を寄せ合って生きていました。
ある村で、10人の「規定の病」にかかっている人たちが主イエスに向かって遠くから叫んでいます。今、我々はこの心情が前よりも想像できるようになりました。ディスタンスを守らねばならない!しかし、この出会いは逃せない!彼らは、強いられた距離を乗り越える思いで必死に叫ぶのです。「イエス様、先生、どうか、私たちを憐れんでください!」
主イエスにこの叫びは届いたか?届いたのです。イエスは、ボーダーゾーンに置かれた彼らの苦しみを受け止めてくださいました。「祭司たちに体を見せなさい」と言われたイエスの言葉通り、十人はすぐに祭司のもとへ向かいました。するとその道中、彼らは自分たちが癒されていることを知るのです。
しかし、癒された時点で十人のグループは二分されてしまいます。一人と九人という二つです。一人は、「大声で神を崇めながら戻って」きて、イエスの足元にひれ伏して感謝しました。この人は、ユダヤ人が「けがれている」と軽蔑していたサマリア人です。でも、彼は神の御業が自分に行われたことを知り、その恵みに応えて賛美する者となりました。
では9人はどこへ行ったのか?祭司のもとに直行して、「きよくなった」認証をもらい、すぐに故郷に帰ったのでしょう。想像するに、きよさの証明書を手にした9人は、あのボーダーには二度と戻りたくなかったのではないですか?世間から白眼視されるあの地にいた過去はなかったことにしたい。そして家に戻った彼らは、サマリア人を差別し、重い皮膚病に罹患した人たちを隅へと追いやるユダヤ社会に一刻も早く同化したかったのではないですか。主イエスとの出会いの価値を忘れて・・・。
私たちはどこで主イエスと出会うのか。「間」においてではないですか。命と死の間。社会が設定するところのきよさと汚れの間。私のうちにある正しく生きたいという思いと、それとまったく反対の荒んだ思いの間・・・。イエス様はあらゆる「間」に歩み入り、「この苦しみをわかってください」と叫ぶ者と出会ってくださいます。
自分が「間」において救い主と出会ったことを恥じることなく、そこへ帰っていく者は幸いです。そこで主イエスの言葉を確かに聞くことができるからです。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。これが私たちの出発点です。