カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神への道を知る

    2024年5月26日
    イザヤ書40:12~17、ヨハネによる福音書14:1~14
    関 伸子牧師
     
     今日のヨハネ福音書では、最初と最後に置かれた「信じなさい」(1、11節)という言葉が全体の枠を構成しています。主イエスは弟子たちに自分とその言葉を信じることを求めます。「私が行く所にあなたたちは来ることができない」(13:36、36)と言われた弟子たちの心は、惨めなほど動揺しています。それに対してイエスは弟子たちに「心を騒がせるな。信じなさい」と呼びかけます。ここには弟子たちが信じるべきことが語られます。

     まず第一は、イエスが「あなたがたのために場所を用意しに」(父のもとへ)行く」ということです(2,3節)。ここに「住む所」と訳されている言葉は、興味深い言葉であって、ここと、あともう一か所、第15章で2節「私につながっていながら」という言葉から始まり、以下ずっと続けて読んでいくと、「つながっていなさい、つながっている」、「つながっていなければ」、「つながっていれば」、という言葉が連続して出てきます。これらは皆、原文では「とどまる」という言葉です。9節「父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛してきた。私の愛にとどまりなさい。私が父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、私の掟を守るなら、私の愛にとどまっている」。

     しかし、トマスに対しては、トマスが愛のおきてを守る以前に、既にとどまる場所が父なる神の所に用意されていると告げられました。父の家には住む所があるということは、神の愛が既にトマスを捕らえているということです。私たちを捕らえているということです。みんなの分の住まいが用意されているのです。

     第二は、イエスは「道であり、真理であり、命」(6節)ということです。イエスは、神が示される「真理と命」に至るための「道」であり、救いへの「道」です。イエスは父へと至る唯一の道ですから、「私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」ことになります。「イエスは「真理と命という道」であると同時に「真理と命である神への道」です。イエスは「御父をお示しください」と願うフィリポに「私を見た者は、父を見たのだ」と答えます。イエスは神を啓示する者なのです。

     弟子たちが信じるべき第三のことは、「私が父の内におり、父が私の内におられる」(10,11節)ということです。父なる神との親密な関係を繰り返し語るイエスは、「弁護者」なる「真理の霊」を送って「あなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいる」(17節)と語って、イエスを信じる者たちは、「真理の霊」によっていつまでも神、キリストと共にあるという約束を与えられます。

     私たちは「信じなさい」と言われて、奉仕をしていても力が入らないと思うことがあります。牧師も同じように神の助けにより頼んでいない時があります。キング牧師は人種差別反対運動に対する数々の脅迫電話や逮捕や恐れの中で緊張した日々を過ごし、ある大衆集会で話をしました。内実は意気消沈し、恐怖に打ちのめされていたが、表向きは力と勇気に満ちた印象を与えようと努めました。そのあとで、キング牧師を良く知る年配の黒人婦人が、彼の説教の力なさを見抜いて言葉をかけてきた。「あんたどうかしているね」「とんでもない、ポラード小母さん、私はいつも通り気分がいいですよ」「あんたは私をごまかせませんよ」。そのような会話のあとで、「私らが、あんたとどこまでも一緒にいてあげられるとはいえしません」と言い、それから、彼女の顔は輝くばかりになり、落ち着いた確信の言葉でさらに続けた、「けれど、私らがあんたと一緒でなくても、神様があんたを見て下さるんだよ」と。「彼女がこのような慰めの言葉を語った時、私の中のすべてが、なまのエネルギーの波打つような震えを伴って揺れ動き、よみがえったのだ」(『愛と自由のことば 一日一章』)。

     説教者も、主が備えてくださった恵みなのですけれども、仕える教会に、また信仰の仲間の中に、ポラード小母さんがいてくださいます。教会の歴史の中にも、人生の出会いの中にも無名のポラード小父さん小母さんがいてくださる。そして、説教者のために祈り、「神さまが説教者と共にいてくださいますように。神さまの助けが説教者にありますように」と執り成してくださっている。その祈りによって説教者は支えられているのです。

     道の終わりに神が立つ。私たちの住まいが用意され、生きる喜びを享受できる時が待っている。この福音書は、教会に生きている者たちは、既に戻って来てくださった主イエスと一緒に生きていると信じました。主イエスは「霊」において戻って来てくださいます。「あなたがたが、ふたりでも三人でも私の名によって集まるところには私もいる」と約束してくださっています。霊を注いでくださったときに私たちはその主のご臨在を確信することができました。主のみ言葉として説教を聴き、主のわざを担う者として伝道に励み、愛のわざに生きる。いまこそ、「あなたは心を騒がすことはありません。神を信じ、主イエス・キリストを信頼しなさい」という主イエスの御言葉に聴き、主イエスを信頼し、そこに身を置いて生きていきたいと思います。