カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

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  • 2025年8月31日
    「また来て、あなたががたを私のもとに迎えます」詩編27:4、ヨハネ14:1~6
    佐藤 史花(ルイビル日本語教会員)

     今日、主日にこうして東小金井教会のみなさんと共に礼拝を捧げることができることを嬉しく思っています。
    今回は、先生にお声をかけていただき、東小金井教会でみことばを分かち合う貴重な機会がえられていることに、心から感謝しています。

     夏には祈祷会にも招いていただき、証を分かち合う機会も与えられました。みなさんのお祈りに支えられて、無事にTCUでの一年目の学びを終え、今週からは二年目の秋学期が始まろうとしています。こうして皆さんと対面でお会いし、共に朝の礼拝にあずかれることができて、とても嬉しく思っています。

     この一週間、みなさんはどのように過ごされたでしょうか。家庭や仕事、学び会などで忙しくされてきたことと思います。
     私は2週間前、カンバーランドのアジア青年の集まり、AYGに参加しました。世界のカンバーランド長老教会の若者が集うこの大会は、国や言語を超え、主にある一致を覚える貴重な体験でした。AYGを通して、アジアでの宣教の大切さを実感するとともに、イエス・キリストを中心とする礼拝がどこにいても温かくアットホームに感じられることを改めて感じました。この東小金井教会の祈祷会に参加させていただいたときも、初めてお会いしたようには思えないほど、温かく、優しく、本当に愛のある教会だなと感じました。

     さて、今朝の聖書箇所のはじめにも「心を騒がせるな。」とありますが、皆さんは最近、心がざわざわしたことはあったでしょうか。私たちの周りには、心がざわざわするような出来事が日々絶えずあるように思います。しかし、そのような私たちに、今日のみことばは、心を騒がせることは「これから一切やめなさい」、「決して心を騒がせてはいけない」と語っているのでしょうか。今日は、共にイエス様がおっしゃった「心を騒がせるな。」のはどのような意味なのか。また、イエス様が歩まれた道、そして用意してくださっている私たちの居場所について共に考えていきたいと願っています。

     13章の最後の晩餐の場面では、弟子たちはイエス様の死と裏切りを知り、深い不安と混乱の中にいました。その弟子たちにイエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい」と語られます。

     興味深いのは、イエス様自身も少し前の13章21節で「心が騒いだ」と書かれていることです。一見矛盾しているように見えますが、読むにつれて、イエス様は、ただ一方的に命令するように語られたのではなく、イエス様ご自身、自らの葛藤を抱えつつ、神を信じる道を弟子たちに示されたことが書かれています。心が騒いだとしても、その揺らいだ心さえをも持って、あなたの父である神の御もとに持って行きなさい」と、そう語られるのです。

     また、14章2節、3節では「わたしの父の家には住む所がたくさんある。あなたがたのために場所を用意しに行く」と語られます。当時のユダヤ文化では、婚約成立後、花婿が父の家に部屋を用意する習慣があり、イエス様はこれを用いて「あなたがたを私のもとに迎える」と約束されました。

     ここで言われている「父の家」とは、どんな場所なのでしょうか?
    「父の家」とは天の住まい、天国を示しています。イエス様は死に打ち勝ち、復活されたことを通して、天というものが本当にあること、これは現実なのだと示してくださっています。主は、私たち一人ひとりを、花嫁のように愛し、迎えるために「部屋」を整えてくださっているお方なのです。理想ではなく、現実として、イエス様が、あなたの名前を呼んで迎えてくださること、このことを希望にわたしたちは待ち望むことができるのです。

     わたしたち自身は、どうでしょうか。
    皆さんにとっては、自分の居場所だと思える場所はあるでしょうか。私は14年ぶりに日本に戻ってきて、「帰ってきた」と感じる場面もあれば、ふとした瞬間に「そうだった、日本とアメリカではこんなにも文化が違うんだ」と感じさせられることも多くあります。そのような経験を重ねる中で、私は「自分はどちらの文化においても中途半端なのではないか」と思うことがあります。そんな自分に気づかされるたびに、私にとっての居場所とは、どのようなところなのだろう、とふと考えたことがありました。

     わたしたちは、無意識に自分を受け入れてくれる居場所を求めているのかもしれません。しかし、私たちの創造主の神さまは、そのような求める心さえもお造りになったようにも思います。私たちの心は常に主の臨在を求め、その圧倒的な平安に満たされること、愛を感じることを求めます。

     詩篇 27編4節をお読みします。主の宮には、私たちが本当に求めている満ち足りた泉があり、癒しがあり、いのちの源があります。この世のどこにいても、「心から安心できる場所がない」そのように感じることがもしかしたら、あるかもしれません。しかし、主はすでに「もうあなたの居場所はある」と、そう今日も語りかけておられるのです。

     どのようなときにおいても、「神を信じなさい。そして、私をも信じなさい」とはっきりと明確にご自分を示されるお方がおられます。「わたしは道であり、真理であり、命である」と語られるイエス様に信頼し、とっておきの場所がすでに天に用意されていることを希望に、生きることができるのです。この希望を持ち、今週も新しい一週間を歩み出しましょう。