キリストにあって生きる
2024年10月6日 ヨブ42:1~6、フィリピ1:12~26 関 伸子牧師 パウロは獄中にあることも福音の前進に役立ったと確信し、宣教への熱意を語ります。福音の前進と書いてあります。「前進」とは、「前」を「打ち」砕きながら進むことを意味する強い表現であり、軍隊の更新をも示すことを考慮すると、この13節でパウロは、イエス・キリストにおける平和の福音の力が、ローマ軍の力よりも勝っており、そのローマの兵営にまで侵入していることを力強く説いているのです。 パ[…続きを読む]
神の家族
2024年9月29日 ルカ8:1-3、19-21 平 尚紀_牧師(成瀬教会) 今年の合同礼拝のテーマは「神の家族」です。先ほども申しましたように私たちはイエス・キリストによって結ばれた一つの家族です。もっとわかりやすい言葉で言うなら、私たちは皆、イエス様によって赦された神さまの子どもです。 ところで、「神の家族」って何度も言っていますけれど、家族っていったい何でしょうか?一緒に住んでいることでしょうか?血が繋がっている血縁関係のことでしょうか・・・?最[…続きを読む]
死に対する勝利
2024年9月22日 イザヤ25:7~10、コリント一15:50~58 関 伸子牧師 今朝は、先に天に召された方々を覚えて召天者記念礼拝をささげます。週報に召天者名簿がはさまれています。その名簿にある方たちの多くは、この礼拝堂で共に礼拝をささげられた、私たちが親しくしていた方たち、その愛する家族でした。 今年は3月7日にOMさんが天に召され、13日に葬礼拝を行いました。90歳の地上の命でしたが、若い日に洗礼を受け、生涯、主の業に励んだ方でした。阪神・淡路[…続きを読む]
キリストの愛に生かされる
2024年9月15日 歴代誌下7:11~16、エフェソ3:14~21 関 伸子牧師 聖書の中の諸文書を書いている人は、みな、祈りながら書いていたであろうと思います。これは自分のことではなく、神のことだからです。人間に向かって話ながら、神にも向かっている、ということになると思います。今日ご一緒に読むエフェソの信徒への手紙第3章は、ひとつの区切りとなります。そこで、見事な祈り(14~19節)と頌栄(20~21節)によって結ばれるのです。 「このようなわけで[…続きを読む]
立派に生きるとは
2024年9月8日 エレミヤ50:4~7、ペトロの手紙一2:11~17 関 伸子牧師 今年のわたしたちの教会の標語聖句、「(主イエスの言葉)私を世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました」(ヨハネ17:18)とあるように、教会は和解を世に伝える務めのために、世から召し出され、世に遣わされます。教会とキリスト者は世の只中にある。しかしそのかぎり、世に憎まれ、世の誘惑にさらされることも避けられません。だからキリスト者は「世に倣う」ことがあってはな[…続きを読む]