喜びの始まり
2025年12月14日 イザヤ40:1~11、マルコによる福音書1:1~8 関 伸子_牧師 待降節第3主日を迎えました。3本目のローズ色の蝋燭に火を灯して主イエスのご降誕を待ち望みます。本日与えられているマルコによる福音書第1章1節は「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書き出します。ここから新しい出来事が始まる。「福音の初め」、「福音」とは、「喜びのおとずれ」です。 クリスマスは、まさに神がこの地上に来られたことを喜び祝った出来事です。マルコによる[…続きを読む]
神の言葉を無にせず
2025年12月7日 エレミヤ36:1~10、マルコ7:1~13 関 伸子_牧師 教会暦に従うと、既に今待降節という季節に入っています。主イエス・キリストのご降誕を前に、み言葉に照らしながら、自らの真実の姿を、きちっと見て、主イエスのご降誕を待ち望む時です。 先ほどお読みしましたマルコによる福音書第7章1節から13節の中で8節、9節、13節に「あなたがたは神の掟を捨てて」、神の掟をないがしろにした」、「神の言葉を無にしている」とあります。「捨てた」、「[…続きを読む]
滅びを恐れず
2025年11月30日 イザヤ書51:4~11、マルコによる福音書13:28~32 関 伸子_牧師 「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マルコ13:31)。この箇所の中心になる主イエスの力強い宣言の言葉です。興味深いことは、主イエスが「私は決して滅びない」と言われているのではなく「私の言葉は決して滅びない」と言われていることです。滅びることのないキリストの言葉にだけ生きている教会においてこの言葉を聞く時、そこに光が射してきます。「私の言葉は滅び[…続きを読む]
キリストのまなざしの中で
2025年11月23日 サムエル上16:1~13、マルコ10:17~34 関 伸子_牧師 ある新聞社が「宗教を信じますか?」というアンケートをとったところ、「信じる」と答えた人は、わずか30パーセントだったのに対して、「霊的なもの、神秘的な何かの存在を信じますか?」という質問に対しては、65%もの人が「信じる」と答えていました。このことから私たちは、人間は神という存在を否定しても心のどこかでなんらかの不安を抱きながら生きているのだということを知ることがで[…続きを読む]
神を知らない時・知る時
2025年11月16日 イザヤ書46:1~7、使徒言行録17:22~29 潮田 健治_牧師(隠退牧師) 「パウロは…この町の至るところに偶像があるのを見て、憤りを覚えた。」とあります。偶像とは、目に見えない神をイメージして石や木に刻んで形に現したもののことです。だから、人間が、これが神だと思うものをイメージすれば、人間の数だけ偶像が出来ることになります。そう考え始めるともう大変で、日本では家を建てるに際しては、そこにいるかもしれない「知られざる神」を怒ら[…続きを読む]