光の射す途へ
2023年12月3日 イザヤ書52:1~10、ヨハネによる福音書7:25~31 関 伸子牧師 待降節第1主日の礼拝をささげています。教会暦では待降節から新しい年が始まります。日本の状況において、待降節は、「待つことの出来ない」時期でもあります。教会にとっては、クリスマスに向けての準備の時ですけれども、街中はすでにクリスマスを迎えたかのようにクリスマスが祝われていますが、私たちはイエス・キリストの到来に向けての準備する時でありたいと思います。 クリスマス[…続きを読む]
解き放たれて生きる
2023年11月26日 エレミヤ23:1~6、ヨハネの黙示録1:4~8 関 伸子牧師 先ほどヨハネの黙示録第1章4節から8節をお読みしました。ヨハネ黙示録は第3章10節に「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから、地上に住む人々を試すため全世界に迫りくる試練の時に、私もあなたを守ろう」とあることから考え、90年代の後半にエフェソで書かれたと思われます。この頃、ドミティアヌス帝による教会迫害が激化し、殉教する者も現れ、しかも教会内にも異端的な思想が起[…続きを読む]
神のみに立つ希望
2023年11月12日 創世記12:1~9、ローマの信徒への手紙4:13~25 関 伸子牧師 今日、みなさんとご一緒に読むローマの信徒への手紙第4章は、とても大切な信仰の道筋を与えてくれます。ここでパウロは、旧約聖書の創世記が語っている、アブラハムの信仰を思い起こしています。 「世界の相続人となるという約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるのです。もし律法に頼る者が相続人であるとするなら、信仰は空しくなり[…続きを読む]
罪から救いへ
2023年11月5日 創世記3:1~15、ローマの信徒への手紙7:7~13 関 伸子牧師 今日は、使徒パウロが56年頃、コリント滞在中にローマの教会に宛てて書いたローマの信徒への手紙の第7章7節から25節を読みます。「では、何と言うべきでしょうか。・・・・・・断じてそうではない」という言葉を読んで、すぐに思い出すのは、第6章のはじめです。そこでは、罪の増すところには、恵みもそれだけ増して来る、と言っているのですけれども、それには、すぐに危険があることが感[…続きを読む]
キリストにあって受け入れる
2023年10月1日 詩82:1~8、フィレモン1~25 関 伸子牧師 フィレモンへの手紙は、パウロの数多い手紙の中で、最も短いものです。宛先はフィレモンと彼の家の教会ですけれども、内容的にはフィレモン個人に対する要望を記したきわめて個人的な手紙です。しかも、その要望とは、オネシモという名のただ一人の人、しかも当時、人間としての権利も価値も全く認められなかった逃亡奴隷を主人に返すという、異例な出来事にあって、このキリスト・イエスの僕パウロが、どのように繊[…続きを読む]