カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • 救いの前ぶれが聞こえるか

    2018年11月11日 出エジプト記33:1~11、ルカ3:1~14 関 伸子牧師   今朝読んでいる、ルカによる福音書第3章以下は、聖書の勉強をすると、ここから主イエスの公生涯が始まると教えられます。芝居にたとえて言うと、序幕がすすみ、いよいよ本筋の物語が始まる幕が開くというところですけれども、この第3章を読んでいると、主イエスご自身の言葉が記されているわけではありません。  ここで語られるのは、まずユダヤ人の頑固さです。それに対して投げつけられる神の怒[…続きを読む]

    救いを見る

    2018年11月4日 列王記上10:1~10、ルカ11:29~36 関 伸子牧師   ルカによる福音書第11章の29節以下は、主イエスのところに、群衆が激しく集中して、わぁっと集まって来る姿を描いています。ところが、これに対して主イエスの最初の言葉は、「あなたがたは悪い時代を作っている」と言われました。  主は、こう語られました。「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」(33節)。群衆[…続きを読む]

    さいわいを造る主

    2018年10月21日 イザヤ書43:22~44:5、マタイ5:1~12 関 伸子牧師   マタイによる福音書第5章から7章まで、ここに記されている主の教え、現在は、これを〈山上の説教〉と言うのが通例です。ここで大切なのは、神の救いを宣べること、それを告げることです。「こころの貧しい人たちは、さいわいである」。ギリシア語では、いきなり、「さいわいである」、という言葉で始まるのです。  ここに、「さいわい」と訳されているギリシア語は、かつて、ギリシア人たちが[…続きを読む]

    神の大きな手の中で

    2018年10月14日 エレミヤ書5:20~25、マルコ14:66~72 関 伸子牧師   先ほど、マルコによる福音書第14章の66節以下を朗読しました。これに先立って、主イエスが大祭司の指導の下にある最高法院で裁かれている物語が記されていますけれども、その物語の最初の記述として54節に、「ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた」と書いているのです。もしこれをひとつの劇にたとえて言うならば、こ[…続きを読む]

    幻を見る自由

    2018年10月7日 ダニエル書7:1~14、マルコ14:53~65 関 伸子牧師  主イエスが地上を歩まれた頃、ユダヤ人の社会を最高法院という議会が支配していました。今日の国会のようなものだとも言えますし、あるいは裁判所のようなものだとも言えます。それを構成していたのは祭司長、長老、律法学者たち、全部で70人で、それに大祭司がひとり加わると71人の会議です。その会議が主イエスをここで裁判に付した。そして死刑にした方がよいという判断を下した。そのことがここ[…続きを読む]