神の贈りもの
2025年7月20日 歴代誌下46:12~21、マタイによる福音書17:15~23 関 伸子_牧師 主イエスは、山上の説教の終わりに近づくところで「狭い門から入りなさい」(13節)に始まる、狭い門、細い道を見いだし、そこからはいれ、という教えに続いて、「偽預言者に注意しなさい」というみ言葉を語り始められます。なぜ、主イエスは、ここで、このようなことを語り始められたのでしょうか。 「注意しなさい」と主は言われます。偽預言者に対して、警戒するのです。警戒す[…続きを読む]
澄んだ目で見続ける
2025年7月13日 イザヤ書49:14~21、マタイによる福音書16:19~24 関 伸子_牧師 マタイによる福音書第19節から21節を読むと、古代には財産がどのようなものであり、どのように保存されたかを忍ばせます。衣服にはシミがつき、穀物は腐り、地中に埋められた金銀は錆びたり盗難に遭うのです。そこで主イエスは地上に富を貯えることの虚しさを語って、「天に宝を積め」と語るのですけれども、実際に語られていることは、何を富とするかということが課題とされている[…続きを読む]
怒りをすてて
2025年7月6日 申命記26:1~11、マタイによる福音書5:21~26 関 伸子_牧師 マタイによる福音書が書かれた当時、マタイ教団は、明らかにユダヤ教のシナゴーグと対立していました。「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(5:17)という言葉は基本方針であり、この律法の先鋭化こそが、律法が本来求めているものです。 十戒の原文は単に「殺すな」とあるだけですが(出20:13、申命記5:[…続きを読む]
神は遠く離れていない
2025年6月22日 詩編25:1~11、使徒言行録17:22~34 関 伸子牧師 「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った」(22節)。パウロは異教文化の中心地で、インテリの代表者たちに正面から伝道をしたのです。「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は認めます」。「信仰のあつい方」、を口語訳は「宗教心に富んで」と訳しました。「信仰のあつい」は誤解を生むでしょう。ここでは一般的な宗教心のことです。「宗教的である」と[…続きを読む]
こころ開かれて
2025年6月1日 詩編93:1~5、ルカ24:44~49 関 伸子_牧師 先ほどお読みした、ルカによる福音書第24章44節以下で、その日一日の出来事の終わりである静かな夜更けに、主イエスが弟子たちにみ言葉を語り続けます。主が弟子たちに求めたこと、それは、これからなお、上から霊の力を授けられる、そのときまで、都に留まって、祈り、待ち続けなさいということでした。こうして新しい時代を迎えるための、しばらくの備えの時が始まるのです。 主は、ご自分の昇天を述べ[…続きを読む]