神の恵みをむだにせず
2024年3月3日 ヨシュア記24:14~24、ガラテヤの信徒への手紙2:15~21 関 伸子_牧師 「私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人のような罪人ではありません。しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義と[…続きを読む]
歩むべき道を示される
2024年2月18日 出エジプト17:3~7、マタイによる福音書4:1~11 関 伸子牧師 2月14日、「灰の水曜日」から受難節が始まりました。その日、夜の祈祷会に久しぶりに出席した方がありました。その方は「神の霊に導かれてここに来たのだと思います」と言われました。そして、「どうしたら洗礼を受けられるのか」と尋られたので、「『イエスは神の子である』ということに『アーメン』と言うことができますか」と聞くと、「はい」と言われました。この問答[…続きを読む]
少しも無駄にならないように
2024年2月11日 列王記下4:42~44、ヨハネによる福音書16:1~15 関 伸子牧師 パンをわかちあうことは神の愛の現れであり、ヨハネは主イエスのなさったしるしを神の国の食卓へと結びつけます。ヨハネによる福音書第6章で舞台となる場所は人里離れた山の中、あるいは丘の上。ガリラヤ湖の別名であるティベリウス湖は皇帝ティベリウスにちなむローマ式の名称であってヨハネ福音書だけがこの名称を用います。共観福音書はイエスがここに来られた理由を明らかにしています。[…続きを読む]
真実な存在は語る
2024年1月28日 詩編125:1~5、ヨハネによる福音書8:21~30 関 伸子牧師 ヨハネ福音書第8章12節で主イエスは、「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と、ファリサイ派の人々の前で言われました。仮庵祭の間エルサレムの町のあちらこちらに、神殿を中心として火がたかれ町を明るくしていたようですけれども、イエスの光はそのような狭い所を照らす光でも、ユダヤ人だけを照らす光でもなく、全世界のすべての人を照らす光であるというのです[…続きを読む]
そっと救う神
2024年1月21日 出エジプト33:12~23、ヨハネ12:1~12 関 伸子牧師 ヨハネによる福音書第2章に、カナでの婚礼でイエスさまが「しるし」を行ったことが書かれています。カナの地で主イエスが伝道なさったときに最初に主イエスが招かれて婚礼に連なり、またその婚礼の喜びに人びとを招かれた。ヨハネによる福音書は、キリストの教会はこの婚宴の喜びを知るところにあると言いたいのではないでしょうか。そこから信仰の歴史が始まり、伝道が始まりました。 ガリラヤの[…続きを読む]