カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 復活の最初の証人マリア

    2020年4月12日(日)
    イザヤ書55:1~11、ヨハネ20:1~18
    関 伸子牧師

     イースターおめでとうございます。今年のイースターは、私たちにとって生涯忘れることができない時でしょう。新型コロナウイルス感染拡大が世界中で広がり、先週、政府は7都市に緊急事態宣言をだしました。この状況がいつ終わるのか分からない不安を覚えます。しかし、主は甦られた! この礼拝堂に集われた方も、ご自宅でライブ配信で礼拝をささげる方も、共に、死に勝利された主イエスのご復活を心から喜びたたえましょう。

     ヨハネ福音書第20章1節を読むと、十字架上のイエスを見届けたマグダラのマリアは、週の初めの日(すなわち日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに墓に来ました。並行記事のマルコ福音書は第16章1節によれば、マリアはイエスの体に油を塗りに来たのです。このマグダラのマリアは、イエスに七つの悪霊を追い出してもらった女です。

     マグダラのマリアが墓に来ると、墓石はすでに取り除かれていた。誰かがイエスの遺体を奪って行ったと思ったマリアはペトロと主の愛する弟子、おそらくヨハネ、のもとに走り、事の次第を告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」(2節)。

     知らせを聞いたペトロとイエスの愛弟子は墓に走って行き、先に着いたイエスの愛された弟子は墓がからであることを確認した。入口からのぞき込んで亜麻布のあることを確かめた。遅れて到着したペトロは、墓の中に入ってみた。そして亜麻布だけでなく、イエスの頭を包んだ布が置いてあるのを見届けた。続いて愛弟子も中に入り、これを見て、イエスの復活を信じた(8節)。彼らは空の墓を見てイエスが復活したことを信じた。

     そうすると「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」と記す9節の言葉は分かりにくい。この「必ず・・・・・・ことになっている」というのは必然性、神の必然性、神のご計画を意味する。

     先ほどイザヤ書第55章8節から11節をお読みしました。預言者イザヤは、神の「思い」と「道」は人間のそれをはるかに超えていることを思い起こさせ、その神が語る言葉はむなしく戻ることなく、必ず出来事となり、神が「与えた使命を必ず果たす」と語ります。天から降る雨や雪の背後に神を見ることができるなら、天は雨や雪の出所では終わらずに、人の思いを高く超える神の偉大さを示す象徴に変わってゆきます。

     イエスの復活は神の必然性として、必ず起こることになっている。しかし二人はまだ理解していなかった。今は分かっていない。ただ信じた。人が信じると言うのは何と不確かで曖昧なことなのでしょう。それでも、信じることから始まり、やがて分かる時が来る。

     11節を読むと、マリアは墓の外で泣いています。ペトロとヨハネが去った後に、再び墓に戻って来たのでしょう。墓はイエスのありし日を偲び、静かに過ごす慰めとしての居場所だったのです。墓の外でマリアは暗い墓の中をのぞいて見ると、白い衣を着た二人の天使が、イエスのおかれていた頭のところと足のところに座っていた。天使たちは「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言う。マリアは、「わたしの主が取りされました」と言った。

     こう言いながら、「後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった」(14節)。イエスは言われます。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」(15節)。マリアはイエスを決して本当に捜していない。ただ尊敬し、愛するイエスの死体を捜している。墓の中を捜して見つかるのは死人のみである。復活したイエスを捜すには、墓の外を探す必要がある。

     マリアは園丁だと思い、「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」と言った。ここで、イエスは「マリア」と呼びかけられた。マリアは自分を呼ぶイエスの声を聞いてイエスだと分かった。

    マリアは応える。「ラボニ」。死という絶望にだけとらわれて泣いているマリアは、生前のイエスにのみこだわる姿です。しかし、「マリア」と名前を呼ばれ、復活のイエスとの新たな出会いをしたマリアは変えられ、復活を信じる証人となっていく。

     わたしたちは、このマリアの体験を、主日礼拝を通して体験している。主日礼拝のなかで私たちは復活のイエスとみ言葉に出会う。み言葉は自分の外側から聞こえてくる。今、私たちを覆っているのは、新型コロナウイルスだけではありません。神の力が、主イエス・キリストによって、この世界を包んでいます。復活の主イエスが訪れて、あなたの名を呼んでくださいますように。マリアに現れて、死に打ち勝ったことを示してくださったように。死の力と戦いましょう。主イエスを信じるとき、聖書の中に啓示されている永遠の命が、現実に信じるわたしたちのものになる。私たちは、真の命であり、世の光である、主イエスに従い、主イエスの新しい愛の掟を実践する者となりたいと願います。お祈りをいたします。