カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 信じて生きる

    2020年7月5日
    詩編126:1~6、ヨハネ4:27~42
    関 伸子牧師

     主イエスとの出会いは、人を変える力を持っています。人々の冷ややかな眼、井戸端での噂話に耐えることができずに、社会の片隅でひっそりと生きていたであろうサマリアの女が、シカルというサマリアの町に来られた主イエスとヤコブの井戸のそばで出会い対話を進めるうちに、今度はみずから進んで人々の中に入りこんで行き、その人々に語り出している。

     27~38節。イエスとサマリアの女、第3幕の始まりです。場面と対話の相手が変わり、違ったモティーフが舞台を占める。食べ物を買いに行っていた弟子たちが帰ってきて、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て驚いた(27節)。この女は、まだ、「イエスはキリストである」との確証は得ていませんでした。それにもかかわらず、信じて、かつて自分を誹謗したであろう人々に語る。「さあ、見に来てごらんなさい」。「とにかく、来てみればわかる」というこの言葉は、イエスのもとに来た者は決して失望することはないというイエスへの期待と信頼に満ちた言葉です。

     イエスとサマリアの女との対話の主題は人を生かす永遠の命の水でした。第3幕におけるイエスと弟子たちの対話の主題は食べ物です。先週ご一緒に読みました出エジプト記は人を生かす命の水が重要なモティーフとなっていました。エジプトから逃れ、モーセの指導のもとに約束の地に向かう民がしばしば渇きを訴え、モーセに呟き、ひいては神に対して呟くのに対して、神が答え、モーセを媒介にして水を与える。同時に、荒れ野で40年間イスラエルの先祖たちが食べ物に窮して、「渇き」に対する「飢え」の問題があった。この意味で「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」という申命記第8章3節bの言葉を合わせて考える必要があります。

     第4章第3幕の主題も実はパン、つまり食べ物と関係しているのです。ここでは弟子たちとの間で、パンのことが主題になっています。弟子たちはイエスに食事をすすめるのですが、イエスは「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われる。しかし弟子たちはそれを誤解するのです。このことは人間の罪の深さを示しています。私たちキリスト者ですらイエス・キリストを信じていながら、そのみこころを悟らないことが多いのではないでしょうか。ここでイエスは父のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが私の食物であると言われる。