カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 光の中に立つ

    2020年9月6日
    出エジプト13:17~22、ヨハネ6:48
    関 伸子牧師

     ヨハネによる福音書第8章12節以下で主イエスがファリサイ派の人々に「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と語られるのは、仮庵祭の終わりの日、この日にはエルサレム神殿で光の祭りが行われ、その強い光はエルサレムの町を明るく照らしたと言われています。

     イエスが世の光であるということは、人間を照らす目に見える光以上のことがイエスにおいて起こり、人々にとって光となったのであり、ユダヤ教の光の祭りが凌駕されたのである。しかし、律法学者たちやファリサイ派の人々とは、主イエスが罪人や取税人、いわゆる裁かれ、差別され、疎外された人たちに手を差し伸べていったことにより論争が先鋭化する。彼らは光を受け入れようとしなかった。

     「姦通の女」の話の挿入で一度物語は切れていたが、律法学者やファリサイ派の人々と主イエスの対話が再開される。イエスは十字架のゆえに、非常に寛容なお方であり、どんな罪をもゆるされる。しかしそれには一つの願いがあることを忘れてはならない。罪がゆるされているのだから、今後は互いにイエスに対して真実に、そして罪を犯さないように生きていこうではないか、というところにイエスに従う歩みが生まれる。私たちはともすると、世の光にならなければならないと背伸びをするところがあるが、世の光であるというのは、立派な人間であるという意味ではなくて、私たちはただイエスのゆるしと愛を受けることにおいて世の光という存在として、暗闇をさまようことはないのである。

     出エジプト記第13章17節から22節は荒れ野の旅への出発を記します。エジプトを逃れたイスラエルの民は、何の目印も標識もない荒れ野を、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって神に導かれて旅を続けました。その柱は荒れ野の物語全体を通して、絶えずイスラエルと共にある。しかし、世の光イエスを迎えた今、もはや私たちは暗闇をさまようことはないのです。

     ファリサイ派の人々はイエスに言いました。「あなたは自分について証ししている。その証しは真実ではない」(13節)。イエスは答えて言われました。「たとえわたしは自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。・・・・・・」(14~18節)。ファリサイ派の人々は、証言は二人または三人の証人の証言によってその真実性が確定されるという律法の基底に基づいて、イエスが一人で、まして自分自身について証しをすることは証しとして真実ではないと言った。けれども自己宣伝をするのはファリサイ派の人々ではないか。施しをする時、ラッパを鳴らし、断食の時は悲しい顔をする。自己中心だから真理が見えない。自己主張が強いから愛がないし、冷たく、暗くなるのです。

     主イエスの論点は三つある。第一にイエスは自証が真であることを主張する。その理由はイエスが父のもとからきて父のもとに行かれるためである。第二にイエスはご自分の審判が真であることを主張される。その理由はイエスは父と共にいるからである。第三に、イエスは自証以外にもご自分が証明者として父を有しておられるために、二人の証人を必要とするというユダヤ人たちの律法に従ってもその証は真であると主張された。

     その実があってなす自証は力に満ちた真実である。光としてこの世に来られたキリストに対して二通りの対応の仕方がある。光に対して心を開くか、閉じるかである。心を開くとは、キリストを信じることによって、この世を、たとえそれが暗闇に包まれているように見えるとしても、そして事実、暗闇に包まれているのですけれども、そこにキリストの光が既に輝いていることを信じることができることである。そして、感謝すべきことにこの光は、この世を、そのあるがままの姿において受け入れてくれる。それはイエスの愛である。

     結局人間は、自分がどこから来て、どこへ行くのか、本当に知ることができないのである。D.ボンヘッファーの詩に『私は何者なにか?』という題のものがある。その最後は次の言葉で終わっている。「私は何者か? ただひとりでこう問う時、その問いは私をあざける。私が何者であれ、ああ神よ、あなたは私を知り給う。私はあなたのものだ」。自分がわからなくなっても、神は私が誰であるかを知っておられる。そのことに私たちは深い慰めを見いだすことができるのである。

     イエス・キリストと出会い、キリストを知り信じることは、私たちの力や知恵ではなく、神とキリストの愛の選びによるのであり、聖霊の働きによる。そしてこれが分かったとき、私たちは自分が分かり、自分の人生の確固たる土台と目標を得ることができるのです。本日この後転入会式を行います。Yさんは人生の途上においてイエス・キリストと出会い、世の光であるキリストに導かれて、息子さんと同じ東小金井教会員になります。私たちもイエスの光を受け、真実の光の中に立つ。そのようにして、光の子としてこの世に遣わされて行きたいと思います。お祈りをいたします。