カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神の励ましに生きる

    2020年12月6日
    詩編96:1-13、ローマの信徒への手紙16:25~27
    関 伸子牧師

     パウロの手紙は、いつも教会に対するあいさつで終わるのですが、ローマの信徒への手紙だけは、それに続いて、讃美の言葉が書かれています。当面の相手であるユダヤ人に対して激しく戦い、しかも理論だけではなく、自分の信仰を吐露するようなこの手紙が、神への讃美で終わっていることにとても感動を覚えます。
     
     神の言葉を聴く者は、いつでも、それを聞くたびに自分が新しく力づけられることに気がつくのです。これを聞くたびに、力を与えられ、強くされるのです。ですから、今また、これを語って、パウロは、この福音を与えてくださった方こそ、あなたがたを力づけてくださったのであると言うのです。

     しかし、あなたがた、と複数で言われているのは、ただローマの教会の会員たちすべてということだけではありません。それだけではなく、あなたがた全体、つまり、教会そのものを指すのです。福音による信仰の重要な目的は、この世のものでありながらこの世のものでない教会を造って、イエス・キリストの体が生きたものになることです。パウロはそれを、すでに、この手紙のはじめにおいて言っています。「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(1:11~12)。

     神は、私たちを強めるのに、どういう方法をおとりになったのでしょうか。まず、第一は「わたしの福音」ということです。それは「私パウロが宣べ伝えた福音」(ガラテヤ1:11)という意味でしょう。この福音によって自分は救われたのであるというならば、その内容は変えることができないわけです。そこでパウロは言うのです。自分はここまで自分がキリストの恵みの内に入れられた福音を書いて来たのである、この福音のみがあなたがたを力づけてくれるのである、あなたがたもそれによって強力にされたことでしょう。だから、その神に栄光を帰しなさい、と。

     それとともに、それが教会を強くすることであることを知らなければなりません。初代の教会は、礼拝の時に、みんなが預言をしたと言われます。預言をしたというのは、要するに、イエス・キリストが救い主であると言ったことです。みんなが、これこそわたしの福音であると言えることです。

     もうひとつのことは、「イエス・キリストの宣教」です。それは、キリストの十字架と復活を中心にしたキリストの教えと生活ということになるでしょう。パウロは「キリストに代わって願う、神の和解を受けなさい」(コリント二5:20)と、自分がキリストによって宣べ伝えさせられていることを、よく知っていたのです。それがわたしの福音と言ったことと同じであるということです。

     人間の救いが、イエス・キリストの福音だけによるということは、その救いを知る者から言えば、その中に説明しつくし得ないほどに深く豊かな神の恵みを見ることができるのです。パウロは、それを奥義があらわされたのであると言いました。人間の知恵ではとても説明できないことが多いのです。私たちの救いに必要なことはみな明らかになったのです。しかし、それがどうして与えられたかということを考えると、その深さに驚かされるのです。たとえば、9章から11章に書いてあるユダヤ人の救いの問題のように、結局は、「ああ深いかな、神の知恵と知識とは」(ローマ13:33)と言うほかはないのです。奥義とは神秘ということです。神秘なものは、隠されているだけでなく、また、あらわされるのです。ローマの信徒への手紙の中には、忍耐と慰めの神(15:5)と、神を呼んでいます。神がこれを奥義として隠しておられたのは、神の忍耐によることです。人間の罪に対して、神はすぐに反発なさいませんでした。神はその罪を赦し、遂に御子をおつかわしになるまで、忍耐されたのです。これほどの忍耐をもって、神が人間を愛されたことが神秘なのです。

     こうして、私たちを強くすることのできる神についての説明の後に、パウロは、その神を短い言葉で言い直しています。それが、唯一の知恵深き神です。神の知恵とは、コリントの信徒への手紙一でパウロが言っている、宣教の愚かさの中にあらわれた神の知恵のことです(1:18~25)。そしてこの宣教とは、「十字架につけられたキリストを宣べ伝え」(23節)ることであり、キリストを宣べ伝えることそのものが、神の知恵(24節)なのである。神のミュステリオンは、とうとう沈黙を破って世に顕れ出た。このことは、以前から預言の書を通しても告知されてきたが、今や神の命令となって異邦人たちにまで知らされるほど広まりました。
     
     今年はコロナ禍のなかでアドベントの時を過ごしていますけれども、変わることのない神の恵み、しかし限りなく多様で、複雑で、不思議な恵みの一面を、私たちはこのクリスマスを迎える時に発見したいと思います。クリスマスに来られる方。「いったいこの人は誰か」。私たちは今年もまた新たにこの問いを問いたいものです。お祈りをいたします。