カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神の言葉によって生きる

    2021年2月21日
    申命記8:30:15~20、マタイ4:1~11
    関 伸子牧師

     主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたとき、「これは私の愛する子、私の心に適う者」という声が天から聞こえました。おまえはわたしの心にかなう者であるという神の保証を得たイエスは、その直後、神の霊によって荒れ野へ導かれ、悪魔の試みを受けられました。悪魔は三度にわたりイエスを試みます。

     「四十日四十夜、断食した後、空腹を覚えられた」(マタイ4:2)。モーセは40歳の時、イスラエルの民を助けようと思い立ち、さらに40年たった時、荒れ野において紫の炎の中から天使が彼に現れ、彼をイスラエルの指導者としたため、モーセはイスラエルの民をエジプトの地から、荒れ野を40年間さ迷いながらも導きだした。エリヤは神の山に行くのに40日の旅をした。旧約聖書には40年、40日ということがよく出てくる。この言葉が出てくるときは必ず試みの時である。しかし、それはまた、神の啓示を受ける時でもある。

     悪魔はパンを神に求めよとは言っていない。イエス自らの力で石をパンに変えるようにと言うのである。自分の力が、神と同じであるかどうかを試そうとするのであった。すべての誘惑には神を試みようとする要素がある。しかも、それはやがて、神の立場に自分をおこうとする願いに連なるのである。

     それは、教会にとっても、いつも問題になることであり、また、誘惑となるのである。イエスは悪魔の誘惑に間髪を入れず「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある」(4節)と答えられた。これは、人はパンだけで生きるものではないという申命記の言葉(申命記8:3)、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたがたに知らせるため、ということの一節である。そのために、イスラエルは、40年の旅を導かれ、多くの試練に遭い、マナをもって養われることになったのである。イエスの道は奇跡のような華やかな道ではなく、地道な道である。手軽な解決は求めず、ひたすら神の言葉を追う道である。

     最初の試みに失敗した悪魔はイエスを神殿の頂に伴い、天使が救うから下へ飛び降りてみなさい、と聖句を引いて誘いをかける。しかしイエスは、「あなたの神である主を試してはならない」(7節)と聖句で断る。

     最後に悪魔は非常に高い山に連れて行き、すべての国々と栄華とを見せ、悪魔を礼拝するように誘う。聖書において山は神の啓示の場所である。「世のすべての国々」(8節)を治める力がイエスに提示される。「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう」(9節)。ルカが伝える悪魔の誘惑の言葉とマタイのそれと比べると違いに気づく。なかでも重要なのは、マタイが「ひれ伏す」を挿入することである。マタイはそうすることで、第三番目の試みを悪魔礼拝の強要と理解したことを示している。

     イエスは悪魔の試みに聖句で答えるが、唯一の例外は三度目の試みである。そこでは聖句のほかに、「サタンよ、退け」とある。この「サタンよ、退け」はもう一度、マタイ福音書に現れる。フィリポ・カイザリヤでイエスが受難を予告したとき、ペトロはイエスをわきへ寄せ、「主よ、とんでもないことです」といさめる。そのペトロをイエスは叱るが、それを直訳するなら、「サタンよ、わたしの後ろに退け」と叱りつける(16:23)。十字架へと歩むイエスを妨害してはならないのである。この道は神の定めた道であり、イエスはそれを歩み通さなければならない。「サタンよ、わたしの後ろに退け」はペトロを始め弟子への忠告である。それに対して、今日の箇所には「わたしの後ろに」がない。相手が悪魔だからである。しかし、神の子が歩むべき道を邪魔することではペトロも悪魔に違いはない。イエスの歩む道をさえぎる者は「サタンよ、退け」とたしなめられる。

     申命記30章15節はこう記す。「見よ、私は今日、あなたの前に命と幸い、死と災いを置く」。つねに私たちの前には「命と幸い」が置かれている。利己的な欲望にがんじがらめとなって滅び去るのではなく、神によって生かされ、神のもとで互いに生かし合う生を選び取らなければならない。すなわち、主が引用された聖句、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」という言葉こそ、まさしく「あなたの神、主を愛し、その声を聞いて、主につき従いなさい。主こそあなたの命であり、主があなたの父祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地であなたは長く生きることができる」(20節)に記されているように「あなたの命」の基となることを、私たちは忘れてはならない。 

     「そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが近づいて来て、イエスに仕えた」(11節)。悪魔の支配下にあるように見える世界の現実にあっても、神の見えざる支配が力強く一貫している。主イエスは子なる神として、父なる神と聖霊なる神と緊密な関係を保たれ、王、祭司、預言者としての正しい資質を示された。私たちは、この神をおがみ、この神にのみ栄光を帰し、この神にのみに仕えて行きたいと思います。祈りをいたします。