カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • わたしについて来なさい

    2022年2月27日
    エレミヤ16:14~16、マルコ1:14~20
    唐澤 健太牧師(国立のぞみ教会)

     「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(17節)。ガリラヤの漁師4人がイエス様の弟子に招かれる物語が与えられた。マルコが描く漁師たちの召命物語はとても衝撃的だ。マルコによれば、ペトロたちはイエス様と初対面にも関わらず、しかも、何の奇跡を目の当たりにしたわけでもなく、ただ「私に付いて来なさい」という招きに、「すぐに網を捨てて従った」というのだ。

     そんなことがあるだろうか? 私たちは子どもたちに「知らない人に付いていってはいけない」と教える。私たちは初対面の人にいきなり「「付いて来い」と言われて付いていくことなどしない。なぜペトロたちは「すぐに」従ったのだろうか?

     イエス様が特別魅力的に見えたからだろうか? ペトロたちは漁師からの転職を考えていたので、ちょうどいいタイミングだったのかなどと、私たちはあれこれと彼らがすぐに従った理由を考える。

     ルカ福音書は、マルコの物語を知りつつ、全く違う召命物語としている(ルカ5章参照)。ルカの召命物語では大漁の奇跡が描かれ、それからペトロたちが招かれるという話になっている。その方が納得できる。しかし、だからこそマルコのこの「すぐに」従った弟子たちの姿がとても不思議な驚きとして私たちに迫ってくるのだ。

     10年以上前、のぞみ教会で子ども連れでも聖書が学べる「オリーブの会」というものを始めた。その会で、このペトロたちの召命物語を読んだ時、その場に集った人たちに、「なぜペトロたちはすぐに付いていったのだろうか」と質問をした。するとこの物語を初めて読んだ一人の女性が「イエス様の言葉に力があったからですかね」と答えられた。聖書を読み始めたばかりの一人の女性の読み解きに私は衝撃を受けた。それこそマルコが告げようとしたメッセージを、そのポイントをずばり言い当てているように思ったからだ。

    「私に付いて来なさい」という招きの言葉にペトロたちが、「すぐに網を捨てて従った」のは、「イエス様の言葉に力があったから」ということだ。今日の箇所で考えるなら、理由はそれしかないように思う。そして、「すぐ」という言葉は、マルコにとって大切な言葉でもあるのだ。「すぐに従う」というのは、マルコ福音書の大事なメッセージなのだ。

     信仰とは、とってもシンプルで、イエス様が「私に付いて来なさい」(直訳:「さあ、わたしの後ろにきなさい」)という招きに応えて、イエス様の後ろについて、イエス様についていくこと、イエス様の背中をみながら、イエス様と一緒に人生の旅をすることに他ならない。

     「私たちは若いから」、「忙しいから」、「年をとり過ぎたから」と主の招きの前に色々な言い訳を用意できることをカール・バルトは指摘した。私たちは「すぐに従う」ことはなかなか出来ない。さりとて時間が経てば従えるということでもない。やはりその「時」を逃しては従えないということをマルコは「すぐに」という小さな言葉を用いて伝えたかったのである。

     私たちはしばしば信仰の決断をする場面で、判断してしまうことが多い。判断とは正しいか否かなど「ジャッジ」することであり、決断とは他の選択肢を捨てることである。私たちはしばしば「ジャッジ」する。神の言葉を、主の招きを、聖霊の導きを……。

     この礼拝において私たちも主イエスから「私について来なさい」と招かれている。ペトロたちは、この後、完全に従ったわけではない。失敗もした。「サタン、引き下がれ」(8:33)と叱られたこともあった。イエス様を裏切りもした。でも、イエス様は招き続けてくださった。そして、ペトロたちはその招きに応え続けたのだ。

     「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい』と言われた」(15節)。イエス様が弟子たちを招いたのは「ヨハネが捕らえられた後」だ。ヨハネがヘロデに捕らえられ、首をはねられるという「闇」が支配する時代ということだ。命を脅かす力、生きる希望を奪い取る力が跋扈する時に、イエス様は「神の福音」を伝え、弟子たちを招かれた。

     いま、私たちはウクライナで戦争が勃発し、人々の命が危機に晒されている時代にある。その中に、主イエスの言葉が力をもって飛び込んでくる。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。今朝、「私に付いて来なさい」という主イエスの招きを受けているのだ。この招きこそ、私たちを生かす命の招きなのだ。この招きに答えよう。