カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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    2022年12月25日
    ミカ書5:1~3、ルカによる福音書2:8~20
    関 伸子牧師

     先ほどルカによる福音書第2章からクリスマスに読まれる箇所を一気に読みました。この降誕物語の場面には、天使が素朴な羊飼いたちに訪ねたことが伝えられています。マタイによる福音書を読むと、東方の学者たちが黄金、没薬、乳香をささげて、いち早く飼い葉桶のイエスを訪ねたと記されています。いずれにしても、旧約聖書の専門家であるユダヤ人の学者や教師たちが、その観念的に待ち望んでいるメシアが現に生まれたことも知らず、相変わらず空論をしている間に、異邦の博士たちと、当時、野蛮だと言われていた羊飼いたちはキリストの誕生を知らされ、赤ちゃんイエスを見て、神を崇めながら賛美したと記しています。

     羊飼いとはどういう人々であったでしょう。旧約ではダビデが羊を飼っていたという話もあるので、羊飼いと言うのは結構恵まれた職業だと思われるようです。今日の場面も、のどかで牧歌的な場面として快く受け止めている人が多いのです。しかし、ある本を読んでいて、羊飼いがイエスの時代には罪人呼ばわりされて、さげすまれていたということを知らされました。当時のユダヤはもう牧畜中心の社会ではなく、羊飼いは昔のように尊ばれることはなくなっていたのです。むしろ、彼らは社会の底辺で誰からも顧みられることなく、歯を食いしばって生きていた人々でした。住民登録をする必要もない、数に数えられていない人たちでした。

     そうとすると、この場面の意味するところは、強いインパクトをもって迫ってくるものとなります。また、イエスが寝かされた飼い葉桶の場面とも重なり合って来ることに気づきます。つまり、イエス・キリストの誕生は、この世の最も低いところにいる人々に光をもたらす出来事であったということです。イエス・キリストは、世の中に居場所がない人であるかのように飼い葉桶に寝かされていましたし、そのイエスの救いの使信は社会の底辺に生きる羊飼いにまず知らされたのです。福音(Good News)の本質はここにあると、この場面は言っているのではないでしょうか。

     イエスは人間としてマリアの胎から生まれました。イエスは普通の人間として出生したのです。その聖霊による受胎を知った者はただマリアとヨセフだけであり、イエスの生存中は、世間に対してイエスは全く通常の人間として生きた。マリアが聖霊によって受胎したということは、科学的に説明することのできないことです。その真理とは、神が人となって生まれたということです。神から使命を授けられて生まれた者は、すべて神から遣わされるのです。これが信仰的な意味です。

     主イエス・キリストが平民の子として、低いところで生まれたのは、彼を信じる者を高く引き上げ、小さな者たちに喜びの訪れを告げ、それによっていと高きところで栄光が神にあり、地には平和が主のご降誕を喜ぶ人、すなわち、主を信じる人にあることは、その時はただ天使たちの知るところでした。

     「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町にあなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである」(10~12節)。

     まるでそのすべての民の代表者であるかのように、この天使の言葉は、天使の軍勢に支えられながら、羊飼いに語られました。ルカでは、イエスが救いの手を差し伸べるのは、自分の身分や業績に誇りを持つひとではなく、放蕩息子であり、律法学者やファリサイ派の人々からは罪人とされた人、例えば徴税人のザアカイなどでした。
     
     天使と天の大軍は「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と神を賛美しました。「救い主」の誕生は、昔からの神様の約束が成し遂げられることであり、全ての人々のための神の愛の実現でした。このことこそが神の栄光を現すことでした。そして、その「救い主」の誕生は、地上の人々に平和をもたらすという大きな喜びの出来事でした。この平和とは、キリストによってまことの平和を得ることであり、神様によって造られたすべてのものの間で、和解による平和を得ることを指すのです。イエスさまからまことの光をいただいた私たちのこの世での務め、それは和解をもたらすことです。

     主イエスをいつも見つめていましょう。なぜなら、十字架につけられ、また栄光をお受けになったイエスのみ心の内に、栄光だけでなく、この世にあって平和をもたらすように、具体的には和解のために、そのための苦しみにも共にあずかるようにと召されている私たち自身を見いだすからです。私たちの日常の中に来てくださった赤ちゃんイエスさまが安心して眠ることのできる世界。それが神の平和がこの地に来ることなのでしょう。今、私たちの生きている世界は安心して眠ることができないことも多くあります。この世にお生まれになったイエスさまと出会った羊飼いたちの中に喜びの賛美があふれたように、礼拝を通して聖書の言葉を聞き、イエスの誕生を知った私たちも羊飼いと同じように、喜びの賛美の歌をたからかに歌いましょう。お祈りします。